駅構内の券売機前において、突然背後から盲導犬を連れて歩行してきた完全視覚障害者に右肩部付近を強く衝突され、その場に転倒し、左大腿骨頸部骨折の傷害を負ったとして損害賠償を請求した事例 [棄却]横浜地裁川崎支部平成13・12・13 平成11(ワ)190

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主       文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事 実 及 び 理 由

第1 請求
 被告は,原告に対し,金845万3701円及びこれに対する平成10年4月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要
 本件は,切符を購入するために駅構内の券売機付近で立っていた原告が,完全視覚障害者である被告に衝突されて転倒し,左大腿骨頸部骨折の傷害を負ったとして,被告に対し,不法行為に基づく損害賠償を求めたのに対し,被告が,原告に衝突したのは自分ではないなどと主張して争っている事案である。

1 争いのない事実等(証拠を摘示した部分以外は,当事者間に争いがない。)

(1) 原告(大正14年○月○日生)は,平成10年4月30日(以下「当日」という。)午後0時30分ころ,東急電鉄田園都市線f駅(以下単に「駅」ということがある。)で下車し,改札口を出て,帰りの切符を購入するため,同駅構内の券売機付近に立って,小銭入れから硬貨を取り出していた。そのとき,原告は,突然通行人に衝突されて転倒し,その結果,左大腿骨頸部骨折の傷害を負った(以下「本件事故」という。)。(甲1,原告)。

(2) 被告(昭和17年○月○日生)は,33歳のときに失明し,現在は完全視覚障害者である(乙7,被告)。
  被告は,温水プールに行くため,当日午後0時30分ころ,f駅で下車し,改札口を出た後,障害者のためのガイドヘルパーであるCとの待ち合わせ場所に向かって,盲導犬を連れ,白杖を用いながら歩行していた(証人C,被告)。

2 争点
(1) 原告に衝突した者は被告か否か。
(原告の主張)
  原告は,駅構内の券売機前において,突然背後から盲導犬を連れて歩行してきた被告に右肩部付近を強く衝突され,その場に転倒した。

(被告の主張)
ア 被告が当日左手に盲導犬を伴い,右手に白杖を持って,駅構内の誘導ブロック上を歩行していた際,すれ違いざまに被告の右肩に接触した者がいたが,原告と衝突したことはない。被告の右肩が接触して原告が倒れたのであれば,倒れた位置が被告の右側でなければならないが,原告は,被告の前方1メートルくらいの所に,被告に背を向け,足を前方に投げ出して座るような体勢で倒れていたのであるから,原告と接触したのは被告ではない。

イ 被告は,当日,白杖で自己の約50センチメートル前方に障害物がないことを確認しながら誘導ブロック上を歩行していたのであり,また,盲導犬は前方に障害物があるときは直ちに立ち止まるように訓練されているのであるから,前方に佇立している人と接触するということはあり得ない。また,盲導犬が被告を引っ張って歩くことなどあり得ない。

(2) 被告の過失の有無
 (原告の主張)
 視覚障害者においても,歩行の際には,人との衝突を避けるため,白杖や盲導犬を適切に使用するなどして,前方を確認する義務がある。また,白杖や盲導犬が適切に使用されていても,他人との衝突の危険が増すことが予想される混雑した場所においては,前方に声を掛けるなどの方法により,自らの存在を示し,前方にいる人に停止や回避を促す義務がある。さらに,視覚障害者が盲導犬を連れて歩行する場合には,盲導犬を適切に用い,衝突を避ける安全な歩行が行われるように盲導犬を指導する義務がある。

 ところが,本件事故当時,被告は,白杖や盲導犬を適切に使用せず,前方確認義務を怠り,また,声掛け等により前方にいた原告に回避を促すことを怠った。さらに,被告は,盲導犬を適切に使用せず,盲導犬の指導を怠った結果,盲導犬に引っ張られたことが原因で原告と衝突したものである。

(被告の主張)
 視覚障害者にも前方確認義務があること,前方に人の存在が認められた場合は,停止するか相手方の回避を促す行動を採るべきであることは争わないが,視覚障害者が歩行する際には,白杖や盲導犬を用いて前方を確認するほか,健常者の注意を喚起するために声掛け等の義務があるとの主張は,視覚障害者に不可能を強いるものであり,ひいては視覚障害者を社会生活から排除することにつながりかねず,不相当である。

 また,被告は,白杖や盲導犬を適切に使用していたものであって,前方確認義務を怠っていないし,盲導犬の指導を怠り,盲導犬に引っ張られたことが原因で原告と衝突したことはない。

(3) 損害
(原告の主張)
 原告は,左大腿骨頸部骨折の傷害により左下肢機能障害が現れ,身体障害者第4級となり,現在も両足首から先が常時痺れ,床に座ることもできない状態である。原告が本件事故により被った損害は,以下のとおりである。
ア 入院治療費  149万4980円
 (平成10年4月30日から同年7月4日までの66日間)
イ 通院治療費    2万1670円
 (平成10年8月4日から平成11年2月9日までの14日間)
ウ 通院交通費    7万7310円
エ 介護用品費   25万2343円
オ 入院雑費    13万2000円(1日当たり2000円)
カ 介護者交通費   7万9700円
キ 介護者労務費  58万5698円
 (平成10年4月30日から同年7月31日までの間)
ク 入通院慰謝料 120万円
ケ 後遺症慰謝料 461万円
 (左大腿骨頸部骨折による左下肢機能障害の第10級11号相当)

(被告の主張)
 原告主張の損害は争う。

第3 当裁判所の判断

 1 原告に衝突した者は被告か否か(争点1)。
 (1) 前記争いのない事実等,証拠(甲1,2,3の1ないし3の8,4の1,4の2,9ないし13,15ないし20,乙1,2の1ないし2の7,3,4の1,4の2,5,6の1,6の2,7,8,証人C,証人D,原告,被告)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。

 ア 本件事故現場付近の状況は別紙「f駅前縮尺図」記載のとおりであり,f駅の改札口及び券売機の前部には,誘導ブロックが敷設されており,また,駅前にバス停留所があり,バス待合椅子が置かれていた。なお,当日,駅構内の通行人は多かった。

 イ 原告は,当日午後0時25分ころ,「高島屋」へ行くためにf駅で下車し,あらかじめ帰りの切符を購入しておこうと考え,改札口を出た後,券売機の方へ行った。そして,原告は,券売機の方向に身体を向けて立ち,券売機の上方に設置された運賃表を見てから,うつむき加減で小銭入れから硬貨を取り出していた。その最中に,通行人に右肩の背中に近い位置(腕の付け根辺り)を横から衝突され,その場に身体の左側を下にした状態で転倒したため,左大腿骨付近を強打するとともに,左肘に擦り傷を負った(なお,Cは,その際,原告がしりもちをついていた旨証言するが,原告の傷害の部位及び救急隊員に対して後記のとおり事故状況を説明していることに照らし,採用できない。)。

 ウ 被告は,当日,温水プールまでガイドヘルパーのCに誘導してもらうため,Cとf駅前のバス停留所で待ち合わせをし,午後0時39分発のバスに乗車する約束をしていた。被告は,当日午後0時28分ころ,f駅で下車し,右手に白杖,左手に盲導犬に付けたハーネス(ひものついた革具)を持ち,階段を下りて,誘導ブロックを伝って改札口を出た。そして,誘導ブロックに沿って右折し,待ち合わせ場所のバス停留所に向かってそのまま誘導ブロック上を歩行していた。

  被告は,自分の1歩から1歩半先を白杖で確認しながら歩行していた。また,被告の連れていた盲導犬は,被告の盲導犬になって5年目であった。

  被告は,誘導ブロック上を歩いていたとき,すれ違いざまに誰かと被告の右肩が接触したため,その場に立ち止まった。そのとき,接触の衝撃で被告自身が,ふらついたり,よろけたりしたことはなかった。

エ Cは,当日午後0時15分ころf駅に到着し,待ち合わせ場所のバス停留所で被告を待っていた。午後0時30分ころになり,Cは,盲導犬に誘導されながら歩いてくる被告を発見し,被告を迎えるために改札口方向へ歩き始めたところ,前方で原告が倒れているのを発見した。そこで,Cは,急いで原告の傍らに行き,足元に散らばっていた硬貨を拾って原告に渡しながら,「大丈夫ですか。」と声を掛けた。なお,原告が転倒した際,周囲にいた人から,原告を転倒させて現場から逃走する者を非難あるいは追跡するような声などは出なかった。

  その後,Cは,立ち止まっていた被告のところへ行き,被告の左肩を押さえて,「前に人が倒れているのでここで待っててね。」と告げ,再び,倒れている原告のところに戻り,周りの人と共に原告の両肩を支えながら,数メートル先のバス待合椅子のところまで原告を運んだ。

  Cは,原告から救急車の手配を頼まれたため,近くの派出所へ行き,救急車を依頼し(通報時刻は午後0時37分),救急車を待っている間,原告に対し,視覚障害者である被告とプールへ行くために待ち合わせをしていたことや,衝突したところは見ていないことなどを話した。

  救急車が到着すると,Cは,被告に対し,救急車に同行するので一人で家に帰るよう指示して,その後,原告を搬送する救急車に乗り込み,t病院へ同行した。

オ 原告は,救急車でt病院に搬送される際,救急隊員に対し,「駅の自動切符売場で切符を買おうと立ち止まったところ,後ろから押され転倒した際,左足の付け根あたりを打ち,動けなくなった。」と説明した。そして,t病院での診察及びレントゲン撮影の結果,左大腿骨頸部骨折との診断を受けて入院した。原告は,バス待合椅子で救急車を待っている間,Cから,目の見えない被告と待ち合わせをしていたことや,被告は先に帰宅させたとの話を聞き,しかも,Cが病院まで同行してくれたことから,直感的に衝突した者は被告であると考え,医師や看護婦に対し,「キップ売場で後方から盲導犬を連れている人と接触転倒した。」旨説明した。

   カ Cは,t病院でおよそ3時間にわたり原告に付き添った後,帰り際,自分の住所と電話番号を書いたメモを原告に渡した(なお,原告は,Cのメモには,被告の名字も記載されていた旨証言するが,Cはこれを否定しており,メモが現存しない以上,原告の供述をそのまま採用することはできない。)。

  Cは,病院を出た後,f駅近くの派出所に寄り,本件事故の事後報告をし,帰宅後,被告に電話をかけて,原告が入院したことを告げた。その際,被告から,「私が肩にぶつかっているので,もしかしたら私がぶつかった相手かもしれないので,病院まで一緒に行ってください。」と頼まれ,見舞いに行く必要はないのではないかと言ったものの,結局,被告に同行することになった。

キ 被告とCは,本件事故翌日の平成10年5月1日,t病院に入院している原告を訪ねた。被告は,原告に対し,自分の右肩が誰かと当たっていることを話したが,原告は,「自分は後ろを向いていたためあなたが来るのは気が付きませんでした。」などと言うのみで,それ以外に本件事故に関する具体的な話には至らなかった。被告は,原告に対し,盲導犬の本を持ってきたから読んでみてほしいと言って,盲導犬の本2冊を渡した後,病室を出た(なお,原告に付き添っていたDは,被告が病院を訪れた際,盲導犬の指示を間違えたので犬が走り,それに引っ張られてぶつかったと話していた旨証言する。しかしながら,本件事故の被害者である原告自身が,病院で被告のこの言葉を聞いていないこと,被告に同行したCもこのような言葉を聞いていない旨証言していることに照らすと,Dの証言をそのまま採用できない。)。

(2) 以上の認定事実によれば,①当日,被告は,f駅構内を盲導犬を連れて,原告の右側方向から原告の立っていた方向に向かって誘導ブロック上を歩行中,被告の右肩が通行人に接触したのでその場に立ち止まったが,同時刻ころ,被告の進路前方に立っていた原告は通行人に衝突されて転倒し,負傷したこと,②原告が転倒した際,周囲にいた人から,原告を転倒させて現場から逃走する者を非難あるいは追跡するような声などは出なかったこと,③Cは,被告のためのガイドヘルパーの仕事を中断して,被告に帰宅するよう指示した後,原告を搬送する救急車に同乗し,t病院でおよそ3時間もの間原告に付き添ったこと,④原告は,病院で治療を受けた際,医師等に対し,「切符売場で後方から盲導犬をつれている人と接触転倒した。」旨説明していること,⑤Cが,病院において,原告に対し,自発的に自分の住所と電話番号を書いたメモを渡したこと,⑥被告は,「私が肩にぶつかっているので,もしかしたら私がぶつかった相手かもしれないので,病院まで一緒に行ってください。」と言って,Cに同行してもらい,本件事故の翌日に入院している原告をわざわざ訪問していること,⑦その訪問の際,被告は,原告に対し,衝突の状況などを積極的に質問して自己が原告に衝突したかどうかを確認するような言動をとっていないことが認められ,これらを併せ考えると,盲導犬を連れて歩行中の被告が券売機の前に立っていた原告に衝突し,原告がその場に転倒して傷害を負ったため,Cが救急車で搬送された原告に付き添い,その翌日,責任を感じた被告が入院中の原告を見舞ったのでないかと考えられないでもない。

(3) しかしながら,被告が原告に衝突したとの点については,次のとおり疑問ないし不自然な事情が存在する。

ア 原告が転倒した地点について当事者間に争いがあるところ,証拠(乙1,2の1,証人C)及び弁論の全趣旨によれば,原告が倒れていた地点と被告が通行人と接触したため立ち止まった地点との間の距離は2メートル以上あったことが認められる(なお,乙4の2には,被告は,原告の2ないし3歩後ろに立っていた旨の記載部分があるが,採用できない。)。そうすると,被告の右肩が通行人に接触した衝撃により,通行人がかなり強く突き飛ばされるなどの事情があればともかく,本件においてはこのような事情はうかがわれないから,接触地点から2メートル以上離れた地点に転倒するということは不自然である。

イ 前記認定のとおり,原告は,本件事故の直前から直後にかけて,盲導犬を連れて歩行していた被告の存在には気付いていなかったが,本件事故後にバス待合椅子で救急車を待っていた間に,Cから,目の見えない被告と待ち合わせをしていたことや,被告は先に帰宅させたなどという話を聞き,その後,Cが搬送先の病院まで同行してくれたことなどから,直感的に盲導犬を連れていた被告に衝突されたため転倒したと考えるに至ったことが認められる。しかしながら,原告の供述によれば,Cは,原告に対し,ぶつかったのは見ていないと言ったのであって,被告が原告に衝突したという話は一切せず,被告に代わって原告に謝罪もしていないこと,また,Cが供述するように,駅構内で転倒して歩けなくなった原告に同情し,救急車を呼び,病院まで同行して,原告の親族が来るまで付き添っていたということもあながち不自然なことではないと思われることに照らすと,Cの原告に対する上記発言内容及びCが病院まで同行したという本件事故後の事情のみでは,盲導犬を連れていた被告が原告に衝突したと判断する根拠としては薄弱である。

ウ 前記認定のとおり,被告は,本件事故の翌日,原告の入院先の病院を訪問し,原告と面談しているが,被告の供述によれば,被告は,当日,自分の右肩が誰かと接触していたので,原告を転倒させたのは自分ではないかとの思いを払拭できず,そのことを確認するために原告の入院先の病院を訪問したこと,その際,原告が,後ろを向いていたので被告には気付かなかったと言ったので,原告が立っていたのであればすれ違いざまに接触した相手ではないと思い,盲導犬の本2冊を渡した後病院を出たことが認められる。このような経過に照らすと,被告がわざわざ入院中の原告を訪問したからといって,被告が加害者としての責任を果たすため被害者である原告を見舞ったと推認することには疑問がある。

 (4) 本件においては,盲導犬を連れて歩行中の被告が券売機の前で立っていた原告に衝突したため,原告がその場に転倒し,左大腿骨頸部骨折等の傷害を負ったのでないかと考えられないでもないが,上記(3)に記載したような疑問ないし不自然な点に加えて,原告及びCは,盲導犬を連れて歩行中の被告が券売機の前に立っていた原告に衝突したかどうかについて目撃しておらず,しかも,他にこれを目撃した者も存在せず,また,これを裏付ける客観的証拠もないことに照らすと,盲導犬を連れて歩行中の被告が券売機の前で立っていた原告に衝突したと認定することはできないといわざるを得ない。

2 以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求には理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

     横浜地方裁判所川崎支部民事部
     裁判長裁判官   打   越   康   雄
        裁判官   八   木   貴 美 子
        裁判官   角   谷   比 呂 美

 
(別 紙) f駅前縮尺図は省略