犬の咬傷により生じたPTSDの後遺障害等について損害賠償請求が認められた事例 [犬の所有者の家族について連帯責任を認めた事例](京都地判平成14・1・11平成13(ワ)2000

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平成14年1月11日判決言渡
平成13年(ワ)第2000号 損害賠償請求事件

主    文

1 被告は原告に対し,金74万3434円及びこれに対する平成13年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用はこれを7分し,その6を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。

4 この判決第1項は仮に執行することが出来る。

事    実

第1 当事者の求めた裁判
1 請求の趣旨

(1) 被告は原告に対し,金493万3127円及びこれに対する平成13年8月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言

2 請求の趣旨に対する答弁
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。

第2 当事者の主張

1 請求原因
(1) 被告は,平成13年1月30日当時,「A」と名付けた雄の雑種中型犬(以下「本件飼犬」という)を,京都府 k 郡a町内の被告が代表者を務める訴外株式会社B(以下「B」という)の本店建物(1階が作業場,2階が事務所になっている,以下「本件建物」という)の1階で飼育していた。
(2) 原告は,同日午後3時30分頃,本件建物1階で,左前腕から肘付近を本件飼犬に咬み付かれた(以下「本件事故」という)。
(3) 原告は,本件事故により,左前腕犬咬創等の傷害を負い,本件事故当日から同年6月4日までの間,C病院及びD病院に通院したが,左前腕から同手関節にかけて疼痛及びしびれの,左前腕に醜状瘢痕の各後遺障害が残った。
(4) 原告は,本件事故によって次の損害(合計517万4013円)を被った。
 ア 治療費(労災保険給付を受けた) 14万3568円
 イ 自宅療養雑費            1万0000円
 ウ 診断書作成費用            6000円
 エ 付添人交通費等                 6万0000円
 オ 傷害慰謝料            80万0000円
 カ 休業損害(労災保険給付を受けた部分)      9万7318円
 キ 休業損害(労災保険給付を受けなかった部分)   6万4878円
 ク 後遺障害慰謝料            200万0000円
 ケ 後遺症による逸失利益            149万2249円
 コ 弁護士費用            50万0000円

(5) よって,原告は被告に対し,不法行為に基く損害賠償(民法718条)として,(4)項のイないしオ及びキないしコの合計金493万3127円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年8月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 請求原因に対する認否
(1) 請求原因(1)(2)の各事実は認める。
(2) 同(3)(4)の事実は知らない。
(3) 同(5)の主張は争う。

3 抗弁
(1) 免責
 被告は,本件飼犬が他人に危害を加えることのないよう,次のとおりの注意を払って飼育していたから,被告は,民法718条1項但し書きによって免責される。

ア 被告は,本件飼犬が通行人やBの来訪者に危害を加えたり,怖がらせたりすることのないように,本件飼犬を,本件建物の1階奥にある2階へ通じる階段の踊り場の下付近で,長さ約1メートルの紐でつないで飼育していた。
イ 被告は,本件飼犬のストレスをためないように,平日は朝約30分,夕方約15分,休日は午前中約30分の散歩を欠かさなかった。

(2) 過失相殺
 本件事故が発生したことについては,原告の次の過失もその原因となっているから,損害賠償の額を定めるについては,これが斟酌されるべきである。

ア 原告は,本件飼犬を触る何らの必要がなかったにも拘わらず,本件飼犬を触った。
イ 原告は,本件飼犬との信頼関係が築けていなかったにも拘わらず,不用意に本件飼犬を触った。
ウ 原告は,本件飼犬に対し,右手を差し出して左前足で「お手」をさせた上,さらに左手で本件飼犬の右前足を取りに行き,本件飼犬を怒らせた。

(3) 損益相殺
 被告は,本件事故に関し,原告に対し金2万円を支払った。

4 抗弁に対する認否
(1) 抗弁(1)に対し
 抗弁(1)冒頭の事実は争う。同アの事実中,被告が,本件飼犬を,本件建物の1階奥にある2階へ通じる階段の踊り場の下付近で,紐につないで飼育していたことは認め,その余の事実は否認する。紐の長さは約1.5メートルであった。同イの事実は知らない。

(2) 抗弁(2)について
 抗弁(2)冒頭の事実は争う。同アないしウの事実は否認ないし争う。
ア 原告は,保険会社の外交員であり,B事務所へは営業のために訪れていたのであって,営業に支障を生じさせないためには,本件飼犬との信頼関係を築き,維持する必要があった。
イ 原告は,平成10年ころから1か月に数回の頻度でBを訪問し,その都度,帰る際に本件飼犬と遊んでやっており,本件飼犬とは信頼関係が築かれていた。
ウ 原告は,本件飼犬の左前足で「お手」をさせ,続けて右前足で「お手」を誘ったところ,それまで素直そうにしていた本件飼犬が突然咬みついてきたのである。

(3) 抗弁(3)について
認める。

5 再抗弁(抗弁(1)に対し−免責を妨げるべき事情)
 本件飼犬は,過去,人を咬んだことが数回あった。本件建物の1階奥で飼育されている本件飼犬が人と接触する機会があることは十分予想されるのに,被告は,本件飼犬が人を咬むことを防止する措置を何らとらなかった。

6 再抗弁に対する認否
 再抗弁事実のうち,本件飼犬が本件事故前に人を咬んだことが少なくとも1度あることは認め,その余は否認する。本件飼犬に咬まれたのは,Bの従業員である訴外E(以下「E」という)である。

理    由

第1 被告の責任について
1 請求原因(1)(2)の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで,抗弁(1)について検討する。
(1) 上記争いのない事実に証拠(甲1,7,13の1,甲22,乙1ないし6,原告本人,被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
ア 当事者
 原告は,訴外d生命保険相互会社京都支社に勤務する保険外交員である。被告は,Bの代表取締役である。
イ 本件飼犬の管理状況等
(ア) 本件飼犬はシェパード犬の血が混ざった雑種中型犬(雄)であり,気性が荒い。
(イ) 被告は,平成13年1月30日当時,本件建物の1階奥にある2階に向かう階段の踊り場の下で,1メートルないし1.5メートルの長さの紐で繋留して本件飼犬を飼育していた。以前,被告は,本件建物1階の入り口シャッターの外もしくは本件建物内の1階の入り口シャッターに近い場所で飼育していた時期もあったが,本件建物への来訪者から,本件飼犬が吠えて本件建物へ出入りしにくいとの苦情が出たので,上記場所で飼育するようになった。
(ウ) 本件建物の1階部分は資材置き場等として利用されており,資材の搬入,搬出時以外は無人となる時間帯もあった。Bの事務所には,資材の搬入,営業等で毎日10名以上の訪問者があり,これらの訪問者は,本件建物の入り口シャッターから1階奥の階段に達し,階段を上って2階の事務所に至っていたが,本件飼犬の飼育場所はその経路からは離れているので,B事務所への出入りのために本件飼犬に近づく必要はなかった。なお,Bの営業時間中は,入口シャッターが開いており,誰でも本件建物1階部分に立ち入ることができ,本件飼犬に接近することもできた。
(エ) 本件事故当時,本件飼犬の繋留場所に,本件飼犬が人を咬むことを告げる旨あるいは本件飼犬に触らないように注意する旨の表示はなされていなかった。
(オ) 平成10年ころ,Eが本件飼犬の口先を右手で掴んで引っ張ろうとしたところ,本件飼犬がEの右手を咬んだことがあった。また,本件飼犬がBを訪れた営業マンに飛びかかり,その服が破れたこともあった。本件飼犬が人に危害を加えた事実として被告が把握しているのは,この2件で全部である。
(カ) 被告は,平日は朝約30分間及び夕方約15分間,休日は午前中約30分間,本件飼犬を散歩させることを日課としていた。

ウ 本件加害行為及びその前後の状況
(ア) 原告は,平成10年6月11日,Bやその従業員に保険への加入を勧誘するため,初めて本件建物を訪れた。その後原告は,同年中は1か月に2,3回程度,平成11年になってからは2か月に1回程度,平成12年11月以降は月に数回,本件建物を訪れていた。
(イ) 原告は,本件建物を初めて訪問した際に本件飼犬に吠えられたことから,Bやその従業員に対する営業活動を円滑に行うためには,本件飼犬を慣らしておくことが必要だと考え,本件建物を訪れた際に,しばしば本件飼犬をかまっていた。
(ウ) 本件事故当日,本件建物を訪れ,2階事務所での営業活動を終えて1階に降りた原告は,本件飼犬をかまおうと考え,本件飼犬の前にしゃがみ,右手を差し出して「お手」と声をかけたところ,本件飼犬は左前足を原告の右手の上に乗せたので,原告は本件飼犬の左前足を右手で掴んだ。続いて原告は,その状態のまま,「おかわり」と言いつつ,左手で本件飼犬の右前足を掴もうとしたところ,本件飼犬は,突然,原告の左前腕部に1回咬み付いた。
(エ) これにより,原告は,左前腕部に,深い部分で筋膜直前に達する犬咬創を受けた。

(2) 以上の事実に基づいて抗弁(1)について検討する。
ア 被告は,本件飼犬が他人に迷惑をかけないように配慮して本件建物の1階奥で飼育していたのであり,本件建物を訪ねる者は,本件飼犬に近づかなくとも用を足すことが可能であった。また,本件飼犬を散歩させることを日課としていた事実から,被告が本件飼犬のストレスをためないよう配慮して飼育していたということができる。

イ しかし,Bの事務所は2階にあって,被告やBの従業員は1階については充分に目が届かないこと,Bには毎日10人以上の訪問者があり,その中に犬好きの者がいれば,本件飼犬をかまうことも十分予想されること,Bの就業時間中は,本件建物の1階入り口シャッターは開放されていて,誰でも本件建物の1階に立ち入り,本件飼犬に近づくことが可能であったこと,本件飼犬は気性が荒く,以前に人を咬んだことがあること等の事実に鑑みると,被告やBの従業員の目が届かないところで人が本件飼犬に不用意に近づくことがないように,貼り紙をして注意を喚起する等の配慮がなされるべきであって,アの事実だけから,被告が相当の注意をもって本件飼犬の飼育をしたとまでいうことはできない。

ウ よって,被告の免責の抗弁は理由がない。

第2 損害について
1 原告が被った損害額
 証拠(甲1ないし5)によると,原告は,本件事故により,左前腕犬咬創等の傷害を負い,本件事故当日及びその翌日の2日間京都市b区内のC病院に,同年2月1日から同年6月4日までの間京都府宇治市内のD病院に(通院実日数は少なくとも20日)それぞれ通院したこと,同年2月2日に左前腕挫創縫合術を受けたこと,同年6月4日症状固定したが,その後も左前腕から同手関節にかけての疼痛及びしびれ,左前腕部の醜状瘢痕の各後遺症が残ったこと,以上の事実が認められる。
 そして,原告が主張する各損害項目についての当裁判所の判断は次のとおりであり,当裁判所が認める原告の損害の合計は金226万0800円となる。

ア 治療費 14万3568円(原告の主張額は同額)

 これについては,原告は労災保険給付を受けた。(甲14)

イ 自宅療養雑費 1416円(原告の主張額1万円)

 証拠(甲19の2ないし4,原告本人)によると,原告は,自宅療養のために消毒セット(194円),ホータイ(204円),ホータイセット(1018円)を購入したことが認められるところ,これら(合計1416円)は本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
 なお,証拠(甲18の1ないし6,原告本人)によると,原告は,傷跡の皮膚の回復を良くするために,健康食品であるコラーゲン,スクアラン等を購入したことが認められるが,これは医師の指示によるものではないと認められる(原告本人)から,その購入費用を本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできず,他に,自宅療養雑費として本件事故と相当因果関係がある損害があったことを認めるに足る証拠はない。

ウ 診断書作成費用 6000円(原告の主張額は同額)

 証拠(甲20の2,4)によると,原告は,本件事故についての法的手続のためD病院に診断書の交付を請求し,その費用として少なくとも6000円を支出したことが認められ,これは,本件事故と相当因果関係のある損害と認めるべきである。

エ 付添人交通費等 4万7620円(原告の主張額6万円)

 証拠(甲13の3,原告本人)によると,原告は,本件事故直後,原告一人では日常生活が送れないので,仙台市内に居住している母に頼んで原告の自宅に来て貰い,家事や原告の世話をして貰ったこと,母が京都に来るための交通費として,片道2万3810円(往復4万7620円)を要したことが認められ,これは本件事故と相当因果関係のある損害と認めるべきである。
 原告は,母に通院の付き添いをして貰い,その費用を要した旨主張するが,通院の付き添いの必要性を認めるに足る証拠がない。

オ 傷害慰謝料 60万円(原告の主張額80万円)

 原告の受傷の程度,治療の内容,通院期間,実通院日数等を総合して勘案し,原告が受傷したことによる慰謝料としては,60万円をもって相当と認める。 カ 休業損害(労災保険給付を受けた部分) 9万7318円(原告の主張額は同額) 

 証拠(甲15)によると,原告は,平成13年1月30日から同年2月20日まで(22日間)休業し,労災保険から9万7318円の給付を受けたことが認められる。

キ 休業損害(労災保険給付を受けなかった部分) 6万4878円(原告の主張額は同額)

 カの金額は原告の平均賃金の6割相当額である(労働基準法76条,労働者災害補償保険法14条)であるから,原告が填補を受けていない休業損害額は,上記金額の6分の4である6万4878円となる。

ク 後遺症による逸失利益 零(原告の主張149万2249円)

 原告の後遺症について,証拠(甲4,5,11)によると,原告の左上肢の前腕部から肘付近にかけて,長さ5ミリメートルないし36ミリメートルの縫合痕9本が残存したこと,原告の上腕部から手関節にかけての部分に疼痛としびれがあること,そのため,原告は,腕時計を使用できず,かばんや傘を腕にかけることができないこと等の事実が認められる。

 しかしながら,証拠(甲17)によると,平成13年度における症状固定後の原告の年収は,前年同月の年収に比較して顕著な変化がないことが認められるから,後遺症による逸失利益を認めることができない。

 もっとも,後遺症を抱えた原告が,本件事故前の収入を下回らない収入を上げるために,後遺症の苦痛に耐えながら,本件事故前以上に努力しているものと推認できるから,そのことは慰謝料算定において斟酌するべきである。


ケ 後遺障害慰謝料 130万円(原告の主張額200万円)

 クで認定した原告の後遺障害は,自賠法施行令2条の後遺障害別等級表14級4号(上肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの),10号(局部に神経症状を残すもの)に該当し,総合して14級に該当するというべきである。
 そして,上記後遺症に対する慰謝料としては,その程度,内容,クで記載した事情等を考慮し,130万円が相当である。

2 過失相殺

 本件事故の発生については,原告の軽率な行為が一因をなしている。すなわち原告は,必要もないのにわざわざ本件飼犬をかまいに行き,本件飼犬の左前足を自分の右手に掴んだ状態で,本件飼犬の右前足を自分の左手で掴もうとしたのであって,本件飼犬は,両足を掴まれ,無防備な姿勢を強要されることを警戒して原告を攻撃したものと推認できる。

 そうすると,被告に支払いを命じる損害賠償額を定めるについては,原告の上記過失を斟酌するべきである。そして,双方の過失の内容,程度等を比較勘案し,原告が被った損害のうち,6割を過失相殺し,被告に対し,その4割について支払を命じるべきである。
その金額は,90万4320円となる。

(計算式)2260800×4/10=904320

3 損益相殺
 原告は次の(1)(2)のとおり損害の填補を受けた。2の金額から(1)(2)の金額を控除すると,64万3434円となる。
(1) 労災保険給付(1のアとカの合計額)24万0886円
(2) 被告の既払金                2万円(争いがない)

4 弁護士費用
 本件訴訟の内容,審理経過,認容額等に照らし,本件事故と因果関係のある弁護士費用は金10万円をもって相当と認める。

第3 結論

 以上の事実によれば,原告の本訴請求は,金74万3434円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年8月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当として認容するべきであり,その余は失当として棄却するべきである。

京都地方裁判所第1民事部

          裁 判 官  井  戸  謙  一