札幌市長が、円山動物園において飼育されているニホンザルを、京都大学霊長類研究所に対し、実験動物繁殖母集団の用に供する目的で相当な対価の支払を受けて譲渡することを、地方自治法242条の2第1項1号に基づき差し止めることを求めた住民訴訟(平成16・7・29札幌地裁)平成15(行ウ)21 譲渡差止事件

[市に財産上の損害を与えるものではなく、幌市の執行機関又は職員が規範とすべき財務会計法規に反するものでもないから、違法であるとは認められないとして棄却された事例]

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   主         文

1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は,原告らの負担とする。


事 実 及 び 理 由

第1 請求
被告は,札幌市円山動物園において飼育する猿を,独立行政法人京都大学霊長類研究所に対し,実験動物繁殖母集団の用に供する目的で譲渡してはならない。

第2 事案の概要
本件は,被告が,札幌市円山動物園(以下「円山動物園」という。)において飼育されているニホンザル(以下「本件猿」という。)を,独立行政法人京都大学霊長類研究所(以下「本件研究所」という。)に対し,実験動物繁殖母集団の用に供する目的で譲渡すること(以下「本件譲渡」という。)は違法であるとして,札幌市の住民である原告らが,地方自治法242条の2第1項1号に基づき差止めを求めた住民訴訟である。

1 前提事実(証拠及び弁論の全趣旨により認定した事実は括弧内に掲記した。)

(1) 原告らはいずれも札幌市に居住する住民である。
被告は札幌市の市長であり,札幌市は円山動物園を設置し管理している。

(2) 円山動物園においては,昭和57年にニホンザル61頭の飼育を開始して以降,年々その頭数が増加している。そこで,円山動物園においては,平成11年以前には国内外の他の動物園に対して譲渡したり,また,平成8年から同10年まで生殖能力のある雌猿26頭に対してインプラント(排卵抑制作用のある薬)を移植し,平成11年から同13年まで生殖能力のある雄猿50頭に対してパイプカットを実施するなど繁殖制限措置を講じたものの,本件猿の総頭数は,平成13年末時点で120頭,同14年末時点で126頭,同15年7月時点で134頭と増加を続けている。なお,円山動物園では,猿山の平面積を飼育頭数で除した1頭あたりの平面積等により,本件猿の飼育頭数の許容限度は100頭であると判断している(甲1)。

(3) 被告は,平成14年末ころより,本件研究所から,実験用ニホンザルの繁殖母集団の用途に供するため,本件猿を譲り渡すよう要請を受け,平成15年6月には,日本生理学会等からも譲渡の協力の要請を受けた。文部科学省は,平成22年までに世界最高水準の生物遺伝資源を整備することを目指し,ニホンザルなどの実験動植物の収集保存(ナショナルバイオリソースプロジェクト)に着手しており,本件研究所からの要請はその一環としてなされたものである(甲5)。被告は,これを受けて,本件猿の飼育数を適正化し,過密状態となった猿山の飼育環境を改善するため,本件譲渡を計画するに至った。

(4) 原告らは,平成15年7月7日付けで,札幌市監査委員に対し,本件譲渡が違法
であるとして差止めを求める住民監査請求をした。しかしながら,同監査委員は,審議によっても意見は一致しなかったことから,同年8月27日付けで,原告らに対し,合議が整わず監査委員による監査及び勧告に係る決定をするに至らなかった旨を通知した(甲1)。

2 本案前の争点
本件譲渡は,地方自治法242条の2第1項1号の対象に当たるか。

(被告の主張)
住民訴訟の対象は,財務会計上の処理を直接の目的とした行為でなければならないところ,本件譲渡は,本件猿の飼育数を適正化するという動物園としての行政目的を実現するためのものであって,本件猿の財産的価値に着目し,その維持保全を図るという財務会計上の処理を直接の目的としたものではない。したがって,本件譲渡は,地方自治法242条の2第1項1号の対象行為には当たらず,不適法というべきである。

3 本案の争点
本件譲渡の違法性
(原告らの主張)
本件譲渡は,「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下「動物愛護管理法」という。)5条4項に基づき制定された「展示動物等の飼養及び保管に関する基準」(平成16年4月30日環境省告示第33号による改正前の昭和51年2月総理府告示第7号,以下「展示動物基準」という。)に違反するものであって,違法である。すなわち,動物園は,社会教育法や博物館法に基づき設置運営される社会教育施設であって,展示動物基準に記載されているとおり,その設置目的は,動物愛護の思想を普及し啓発することにある。しかしながら,本件譲渡は,動物愛護の思想からは程遠い動物実験に関連するものであって,動物園の設置目的に反する。展示動物基準は,「管理者は,自己の管理する施設で飼養することが展示動物の適正な展示,繁殖等に支障があると認めるときは,他の動物園等への移籍その他の措置を講ずるように努めること」などと定めるが(第1一般原則3項),この「他の動物園等」は動物展示を目的とする施設を意味し,本件研究所のような動物実験を目的とする施設は含まれないというべきである。さらに,「管理者は,展示動物が伝染病にかかり,人又は他の動物に著しい被害を及ぼすおそれのある場合,苦痛が甚だしく,かつ,治癒の見込みのない疾病にかかり,又は負傷をしている場合,凶暴性が甚だしく,かつ,飼養を続けることが著しく困難である場合等を除いて展示動物を終生飼養するように努めること」とも定めているのであるから(同4項),管理者は,誰もがやむを得ないと認めるような事由がない限り,展示動物を終生飼養しなければならないところ,本件譲渡について,こうした終生飼養の原則を放棄できるような事由は何ら存在しない。

そして,円山動物園における猿山の過密状態を解消しその飼育環境を改善するためには,徹底的な繁殖制限措置を実施するとともに,猿山の改修工事などを行えば足りるのであるから,被告が主張する本件譲渡の必要性には根拠がない。また,動物愛護思想の普及啓発という社会教育目的のために飼育されてきた本件猿を譲渡することそのものが損害というべきであるから,本件譲渡が有償でなされ相当額の対価を得られる場合であったとしても,札幌市にはこうした金銭的に評価できない損害が発生するのである。

以上のとおりであって,本件譲渡が違法であることは明らかである。

(被告の主張)
動物愛護管理法及び展示動物基準は,展示動物の所有者又は占有者に対し,動物の飼養及び保管に関する一般的な努力義務を課しているものに過ぎず,仮にこれらに違反する行為があったとしても,住民訴訟において違法と評価されるものではない。本件譲渡は,動物愛護管理法及びこれに基づき制定された展示動物基準に違反するものでもないし,本件譲渡には,地方財政再建促進特別措置法24条2項が適用され,被告は相当額での有償譲渡を義務付けられるから,札幌市には財産的損害が生じることもない。円山動物園においては,これまで国内外の動物園等に本件猿を譲渡したり繁殖制限措置を講じるなどして猿山の過密状態の解消に努めていたものの,本件猿の引受先が見つからない現在の状況を前提とすれば,本件猿の飼育環境を改善するための現実的でかつ有効な手段として,本件譲渡もやむを得ないというべきである。

第3 争点に対する判断
1 本案前の争点(地方自治法242条の2第1項1号該当性)について
地方自治法242条の2の定める住民訴訟は,普通地方公共団体の執行機関又は職員による同法242条1項所定の財務会計上の違法な行為又は怠る事実が,究極的には当該地方公共団体の構成員である住民全体の利益を害するものであるところから,これを防止するため,地方自治の本旨に基づく住民参政の一環として,住民に対しその予防又は是正を裁判所に請求する権能を与え,もって地方財務行政の適正な運営を確保することを目的としたものである(最高裁昭和53年3月30日第一小法廷判決民集32巻1・2号485頁)。そうすると,普通地方公共団体の住民が,住民訴訟によりその予防又は是正を求めることができるのは,当該地方公共団体の執行機関又は職員による行政上の諸活動のうち,財務会計行為,すなわち普通地方公共団体の公金その他の財産の財産的価値の維持,保全を目的とする行為であって,その行為の結果如何によって当該地方公共団体に財産的損害を与え,又は与えるおそれのあるものでなければならないというべきである。これを本件についてみるに,本件譲渡は,札幌市の財産である本件猿の処分行為自体であり,札幌市に財産的損害を与える可能性がある財務会計行為に該当することは明らかである。被告は,本件譲渡は本件猿の飼育数を適正化するという行政目的のもとでなされるものであるから,財務会計行為に該当しないと主張するが,仮に本件譲渡が本件猿の飼育数を適正化する目的で行われるとしても,それは本件譲渡の動機の問題であり,それによって本件譲渡が財務会計行為でないといい得るものではない。

上記前提事実,証拠(乙イ4)及び弁論の全趣旨によれば,被告は本件研究所との間で本件譲渡について協議をし,本件研究所から,譲渡の対象は円山動物園が適正と判断する飼育数を超過している頭数の本件猿であること,譲渡の対価については,動物検疫,輸送箱の製作,国内輸送費等に要する費用を本件研究所が負担し,本件猿の価格は双方の協議により決定する等本件譲渡の内容について具体的な申入れを受けていることが認められる。他方,弁論の全趣旨によれば,現状において,適正と判断する飼育数を超過する本件猿を引き受ける国内外の動物園等の施設も直ちに見つけることが容易ではないと認められるところ,以上を総合すれば,被告が,本件研究所に対し,上記のような内容で本件譲渡をすることが,相当の確実さをもって予測することができる。

したがって,原告は,地方自治法242条1項,242条の2第1項1号に基づき本件譲渡の差止めを求める訴えを提起することができるから,本件訴えを却下すべき理由はない。

2 本案の争点(本件譲渡の違法性)について
(1) 地方自治法242条1項,242条の2第1項1号によると,普通地方公共団体の住民は,当該普通地方公共団体の執行機関又は職員について,違法な財務会計行為があると認める場合(当該行為がなされることが相当の確実さをもって予測されると認めた場合を含む。),住民監査請求をした上で,訴えをもって,当該違法な財務会計行為の全部又は一部の差止めの請求をすることができるところ,この趣旨は,上記1のとおり,普通地方公共団体の執行機関又は職員が住民全体の利益を害する財務会計上の違法な行為に及ぶことを事前に予防し,もって地方財務行政の適正な運営を確保することにある。以上に照らせば,住民訴訟の対象となる財務会計行為が違法か否かについては,問題となっている財務会計行為を執行するに当たって,当該普通地方公共団体の執行機関又は職員が規範とすべき財務会計法規に反するか否かの観点により判断するのが相当である。

ところで,本件譲渡の相手方である本件研究所は,国立大学法人法(平成15年法律第112号)に規定する法人であることから,地方財政再建促進特別措置法24条2項が適用され,寄附金に相当するような物品等の無償譲渡は許されない。しかしながら,上記前提事実に照らせば,本件譲渡においては相当の対価が支払われることが予定されていると認められるし,他方,その対価が本件猿の適正な時価と比較して著しく低廉であることが予定されているなどの特段の事情も認められない。そうすると,本件譲渡は札幌市に財産上の損害を与えるものではなく,被告が財務会計行為を執行するに当たって規範とすべき財務会計法規に反することにはならないのであって,本件譲渡が違法であるとは認められない。

(2) これに対して,原告らは,動物愛護管理法を受けて規定された展示動物基準に違反することにより,本件譲渡は違法であると主張する。しかしながら,上記のとおり,住民訴訟の対象となる財務会計行為の違法性はこれを規律する財務会計法規に違反するか否かにより判断するのが相当であるところ,展示動物基準は,その規定文言等に照らせば,展示動物の所有者又は占有者に対して動物の飼養及び保管に関する一般的義務を課しているものであって,被告が財務会計行為を執行するにあたって規範とすべき財務会計法規であると解することはできない。したがって,展示動物基準に違反することにより本件譲渡が違法である旨の原告らの主張は,採用できない。

また,原告らは,動物愛護思想の普及啓発という社会教育目的のために飼育されてきた本件猿を譲渡することにより,札幌市には金銭的に評価できない損害が発生するとも主張する。しかしながら,原告らの主張する「損害」は財務会計上の損害の概念に含まれるものではないから,原告らが主張する「損害」の発生を前提として本件譲渡が違法であるとする原告らの主張は,失当である。

3 結論
以上のとおりであって,原告らの請求には理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

札幌地方裁判所民事第3部
     裁判長裁判官    生   野    考   司
     裁判官    岡   部    純   子
     裁判官    大   淵    茂   樹