犬の糖尿病治療について、獣医師がインスリンの投与を怠ったとして、飼い主からの損害賠償請求が認められた事例[原告夫婦各40万3105円を認容。うち死亡による精神的苦痛についての慰謝料は各30万円] (平成16・5・10東京地裁)平成15(ワ)16710


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主  文

1 被告A及び被告Bは,原告Aに対し,連帯して40万3105円及びこれに対する平成15年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告A及び被告Bは,原告Bに対し,連帯して40万3105円及びこれに対する平成15年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らの被告A及び被告Bに対するその余の請求並びに被告Cに対する請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,原告らと被告A及び被告Bとの間においては,原告らに生じた費用の5分の1を被告A及び被告Bの負担とし,被告A及び被告Bに生じた費用の5分の4を原告らの負担とし,その余は各自の負担とし,原告らと被告Cとの間においては,全部原告らの負担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 請求
1 被告らは,原告Aに対し,連帯して219万4131円並びにこれに対する被告A及び被告Bについては平成15年8月4日から,被告Cについては同月3日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 被告らは,原告Bに対し,連帯して219万4131円並びにこれに対する被告A及び被告Bについては平成15年8月4日から,被告Cについては同月3日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要
 原告らは,原告らがCと名付けて飼っていた日本スピッツ犬(以下「本件患犬」という。)が,被告A(以下「被告A」という。)の開設するD獣医科病院(以下「被告病院」という。)で糖尿病治療を受けたが,同病院の獣医師らが,インスリンの投与を怠ったために死亡したとして,本件患犬の治療を担当した獣医師である被告らに対し,被告Aに対しては不法行為又は診療契約の債務不履行に基づいて,被告B及び被告Cに対しては不法行為に基づいて,損害賠償金の支払を求めるものである。

1 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告ら等
 原告らは,平成5年1月4日生まれの日本スピッツ犬である本件患犬の飼い主であった(甲A4,A5,C2からC9の1まで,乙A1・1頁,7頁)。
イ 被告ら
 被告Aは,東京都O区a町b番c号において被告病院を開業しており,被告病院の院長である。被告B及び被告Cは,被告病院に勤務する獣医師である。

(2) 被告病院における診療経過
 原告らは,平成11年4月20日から,本件患犬を被告病院に通院させていた。原告らは,平成14年12月28日に被告病院で本件患犬の診療を受け,被告Aとの間で,本件患犬に対し,糖尿病治療をはじめとする必要な治療,適切な医療行為を行うことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。
 原告らは,翌29日にも本件患犬の診療のために被告病院を受診し,本件患犬を被告病院に入院させることとなった。
 本件患犬は,平成15年1月2日から,E動物病院(横浜市a町所在)に転医して治療を受けたが,同月3日午後10時20分に死亡した(甲B2)。本件患犬についての診療経過は,別紙診療経過一覧表記載のとおりである(当事者の主張の相違する部分を除き,当事者間に争いがない。)。

2 争点
(1) 被告らが本件患犬にインスリンを投与しなかったことに注意義務違反があるか。
(原告らの主張)
ア 原告らの主張の概要
 被告らは,平成14年12月28日の診察の時点及び翌29日の被告病院入院以降,本件患犬の血糖値が高値を示し,糖尿病の典型的症状が出ているにもかかわらず,インスリンを投与せず,適切な治療を怠った。このため,本件患犬は,ケトアシドーシスとなり,平成15年1月2日には完治不能の状態となり,翌3日に心不全で死亡した。

イ 糖尿病について
 犬の糖尿病の典型的症状としては,血液検査の結果,高血糖,ALP高値,GPT高値,K低値がみられること,食欲不振,嘔吐,虚脱が挙げられる(甲B7,B8)。犬の血糖値は,平常時には50から124mg/dl(以下,検査数値については単位を省略する。)が基準値とされており,150から200以上であれば高血糖であり,180以上の場合は重症な高血糖とされる(甲B7)。
 糖尿病にはインスリン依存型とインスリン非依存型があるが,犬の場合はほとんどが依存型である。インスリンが体内で正常に作られないときにはインスリンの投与が必要であり,インスリンの投与が唯一の治療方法となる(甲B3,B5,B6)。インスリンにも効き目に応じて3種類あるが,血糖値が400に近い場合,又はこれを超える場合には速効型のインスリンを投与すべきである。犬の場合,食欲不振,脱水,嘔吐などの症状が現れた場合には糖尿病の症状が進行しているので注意が必要とされる(甲B8,B9,B11,B12)。
 インスリンを投与しないで放置すると,ケトン体が出てしまい,悪化してケトアシドーシスとなり,様々な合併症を引き起こすことから,ケトン体が出たときは緊急かつ集中的な治療が必要とされ(甲B3,B7,B9,B11),カリウム値などの電解質に注意しながらインスリンを投与するのがケトアシドーシス治療の常識であるとされる(甲B3,B7,B9)。

ウ 被告Aの責任
(ア) 被告Aの注意義務違反
a 原告らは,平成14年12月28日,本件患犬を連れて伊豆下田へ旅行に行く途中,本件患犬が前夜に食べ過ぎたわかめを少量嘔吐したことから,熱海でF動物病院に立ち寄ったところ,血液検査で,肝疾患を患っていることのほか,血糖値が338と高血糖で,糖尿病であることが判明し(甲A1),かかりつけの獣医にインスリンの投与量を決めてもらうように指示を受けた。そこで,同日,原告らは東京に引き返して被告病院を受診した。
 本件患犬の被告病院における血液検査の血糖値は,平成14年12月28日時点で365であり,翌29日の被告病院入院時は398,同日夕方には最高559を示しており,その後も高血糖値が継続している。
 このような血糖値が高値を示している状況においては,被告Aは本件患犬に対し,インスリンを投与し,糖尿病の治療をすべき義務があったというべきである。にもかかわらず,被告Aは,食事療法を選択し,血液検査や生理食塩水の点滴,タガメット,オイグルコン錠(グリベンクラミド)の投与を行ったのみで,治療方針を変更せず,不適切な治療を継続し,インスリンの投与を行わなかった。本件患犬は,同月28日の夜以降,幾度となく嘔吐し,虚脱状態であったことから,この時点で糖尿病性ケトアシドーシスと判断すべきであり,インスリンによる緊急治療が必要であった。
 被告Aはこのことに気づかず,病状を軽視したのである。

b 被告Aは,高血糖であれば血液検査を頻繁に行うべきところ,平成14年12月29日以外は1日1回しか行っておらず,また,糖尿病の悪化に伴って増加するケトン体を調べるために頻繁に尿検査を行うべきであったのに,尿検査も怠った。さらに,オイグルコン錠は,人間用の経口薬で,重症ケトーシス,糖尿病性昏睡又は前昏睡,インスリン型糖尿病,重症な肝機能障害の患者に対しては禁忌薬であり(甲B1),高血糖治療として経口血糖下降剤は効果がないとされており(甲B7,B9,B10),糖尿病の治療とはいえない内容である。被告Aは,同月31日から旅行へ行ったが,代診医に対する指示も不徹底であった。
 さらに,被告らは,インスリン投与によるカリウム値の低下の危険性を過度に強調するが,低カリウム血症の禁忌薬であるミノファーゲンを同年12月29日以降毎日投与しており,カリウム補助剤を投与したのも平成15年1月1日午後が初めてである。

(イ) 因果関係
 被告Aらが,不適切な治療を継続したため,本件患犬はケトアシドーシスが悪化して多臓器不全になり,完治不能となった。
 被告Aがインスリンを投与し,オイグルコン錠を投与しなければ,本件患犬が死亡することはなかったのであり,被告Aの注意義務違反(過失,債務不履行)と本件患犬の死亡との因果関係は認められる。

(ウ) まとめ
 よって,被告Aは,原告らに対し,不法行為又は本件診療契約の債務不履行に基づき,原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。

エ 被告Bの責任
 被告Bも,平成14年12月28日に本件患犬の血糖値が高く,同日夕方から翌29日朝にかけて6回の激しい嘔吐を繰り返し,虚脱状態であったことを認識し,糖尿病治療が必要であると認識したのであり,また,被告Aから同被告の旅行中の本件患犬の診療を任されたのであるから,自らの判断に基づいて獣医師として高血糖値を下げるためにインスリンを投与する等適切な治療行為をすべき義務を負っていたにもかかわらず,これを怠った過失がある。
 よって,被告Bは,原告らに対し,不法行為に基づき,原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。

オ 被告Cの責任
 被告Cは,被告Aから同被告の旅行中の本件患犬の診療を任されたのであるから,自らの判断に基づいて獣医師として高血糖値を下げるためにインスリンを投与する等適切な治療行為をすべき義務を負っていたにもかかわらず,平成14年12月28日にケトン体が出ていたこと,当然ケトアシドーシスになっていることを認識せず,適切な治療を怠った過失がある。
 よって,被告Cは,原告らに対し,不法行為に基づき,原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。

(被告らの主張)
ア 犬の糖尿病について
(ア) 犬の糖尿病の治療について
 これまで犬の糖尿病は,食事療法,運動療法や経口血糖降下剤が効かない,人間でいうところのⅠ型(インスリン依存型)糖尿病であるかのような誤解があったが,近年の研究により,犬の糖尿病は,運動不足や肥満が原因の,人間でいうところのⅡ型(インスリン非依存型)糖尿病であることがわかってきた。ただ,人間と違って早期に発見されることが少なく,病院へ来た時点では病気が進行していることが多かったため,Ⅱ型糖尿病であるにもかかわらず,もはや食事療法等での治療が手遅れになっていることが多かったのである(甲B8)。近年は,飼い主が早期に病院へ連れて行くことが多くなり,食事療法や運動療法が奏功するケースも認められるようになってきた。軽度のⅡ型糖尿病には,インスリンではなく,SU剤(グリベンクラミド=オイグルコン)が第1選択薬とされている(甲B8)。

(イ) 糖尿病性ケトアシドーシスの治療について
 小動物は,人間と違って,わずかなことで急変することがあり,治療が困難である。糖尿病性ケトアシドーシスの致死率は低くなく,その原因の代表の一つが低カリウム血症であり,積極的な治療による併発症の代表例が低カリウム血症による心停止である(甲B7)。そして,低カリウム血症の原因として,インスリン療法が医原性のものとして挙げられ(甲B9,乙B1),治療前から既にカリウムが低下している場合にはまずカリウム補正が非常に必要となる(甲B9)。カリウムの補正は,患畜の全身のバランスを考え,ゆっくり行うのが原則である。
 また,オイグルコンが重症ケトアシドーシスで禁忌なのは,インスリンを使うべきだからであって,ケトアシドーシスにオイグルコンを使用することで障害が生じるわけではない。

イ 被告病院における治療について
(ア) 被告病院ではインスリンの投与は確かにしなかったが,それは医学的判断に基づくものである。
 被告病院では,血糖値が高い場合,まずは食事療法,輸液療法,バナジウムウォーター(血糖を下げる水)で治療をしながら様子をみている。このような治療にて,糖尿病に特徴的な多飲,多尿,疲れやすさという症状は半減し,血糖値も下がる傾向にある。

 インスリンは,前記のように,低カリウム等全身状態に問題があると心臓に負担を来し死亡する場合もあるので簡単には使用できないし,一旦使用すると継続して使用する必要があるため,飼い主にとっても投薬で治療する方が負担が少ない。インスリンの投与には血中のインスリンの量を測る必要があるが,その場では測れず,本件では年末年始で検査機関も休みで早急に測定することは不可能だった。

(イ) 本件患犬は,被告病院来院の前日である平成14年12月27日まで異常は認められておらず,来院時も活動の低下は認めていないし,糖尿病の特徴的症状も出ていなかった。血糖値は,それにより急死するような 値ではなかった。
 他方,血液生化学検査でカリウムの低下があった。カリウムの低下はそれだけでも心不全の危険があるので,糖尿病の症状がまだひどくない段階で,インスリンの投与は心不全の危険があり,その危険を上回る有用性が認められなかったため,行わなかった。
 平成15年1月1日まで,血糖値は相対的に低下していき,本件患犬の活動性も保たれていたが,食欲不振や嘔吐は治まらず,インスリンの投与も視野に入れて同日からカリウム製剤の投与を追加した。翌2日にカリウムの上昇を認めており,全身状態や血糖値・カリウム値を考慮して治療を継続するつもりであった。

ウ 被告A不在中の治療等について
 被告Aが平成15年元旦から不在となることは被告病院入院時に原告らに伝えてあった。被告病院には当時院長の被告A夫妻(いずれも獣医師)以外に7人の獣医師が勤務しており,被告Bを含む4人は被告病院の上に住んでいたので,本件患犬の治療は被告Aが不在でも,年末年始でも問題なくできる態勢であった。被告Bは既に4年の経験があり,大学における研究により,動物の栄養学については被告Aよりも詳しかった。
 被告病院で投与されたヒルズw/dは肥満予防・糖尿病・高脂血症の処方食であり,体重により投与量が決まっており,被告病院ではそれに従って投与されていた。

エ まとめ
したがって,被告らには何ら注意義務違反はない。


(2) 原告らの損害及び損害額
(原告らの主張)
ア 逸失利益    30万円
 本件患犬は,血統書付きの血筋のよい犬で(甲C2,C3),幼少のころから日本スピッツ協会から数多くの賞を受賞し(甲C4),感謝状ももらっており(甲C5からC7まで),平成9年10月5日には同協会のチャンピオンに輝き(甲C8),同日同協会から種犬認定を受けた(甲C9),非常に優秀な犬である。
 死亡当時9歳であり,まだ繁殖可能な年齢であり,財産的価値としては,少なくとも30万円と評価するのが妥当である。

イ 治療費     13万3830円
 (ア) 被告病院での治療は意味をなさなかったので,入院費・治療費7万5240円は返還されるべきである。
 (イ) 被告病院の医療行為が不適切であったため,Eで治療せざるを得なくなり,書類作成代2000円を含め,5万8590円支出した(甲C1)。

ウ 葬儀費用     5万5500円
 原告らは,本件患犬の葬儀費用として,5万5500円を支出した。

エ 小計
 以上を合計すると,原告らの被った損害額は48万9330円となり,原告らは本件患犬について2分の1ずつ持分を有するから,各原告の損害額は,24万4665円となる。

オ 慰謝料   各175万円
 原告らは,本件患犬を我が子同然それ以上に溺愛し,飼育してきたにもかかわらず(甲C13),被告らの悪質な医療ミスにより愛犬を失い,計り知れない精神的苦痛を味わった。また,平成15年1月19日に被告Aに本件の経緯について説明を求めた際,被告Aは被告病院診察室にて開き直り,逆切れして原告Aの襟首をつかまんと威嚇し,いすを床に強くたたきつけるという暴行行為に出るなどし,原告らは多大な恐怖と精神的苦痛を受けた(甲A7)。原告Bは本件以降パニック障害となり,本件訴訟の提訴後の被告らの居直りや嫌がらせにより,パニック障害が進行してさらなる身体の変調を来し,現在も通院治療中である(甲C11)。その慰謝料額は,各175万円が相当である。

カ 弁護士費用 各19万9466円
 本件訴訟遂行を弁護士に委任せざるを得なくなった。弁護士費用としては前記請求額の1割である39万8933円が相当であり,原告らはそれぞれ19万9466円(1円未満切捨て)を負担した。

キ まとめ
 よって,原告らは,被告Aに対しては不法行為又は本件診療契約の債務不履行に基づいて,被告B及び被告Cに対しては不法行為に基づいて,連帯して,各219万4131円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日(被告A及び被告Bについては平成15年8月4日,被告Cについては同月3日)から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告らの主張)
 原告らの主張は争う。
 なお,原告らの主張によれば,本件患犬は9歳11か月30日の年齢であり,これは人間でいえば50代後半から60歳に当たるので,繁殖可能とはいえない。

第3 争点に対する判断
1 争点(1)(被告らが本件患犬にインスリンを投与しなかったことに注意義務違反があるか)について

(1) 犬の糖尿病について
ア 証拠(甲B3,B5からB12まで,B25)によれば,犬の糖尿病については,獣医療において,一般に,以下のように理解されているものと認められる。犬の糖尿病は,ヒトの糖尿病と大きく異なるところはなく,膵臓ランゲルハンス島のβ細胞からのインスリンの分泌が絶対的又は相対的に不足するか,あるいは末梢でのインスリンの作用が損なわれることにより起こる代謝性疾患である。
 ヒトの糖尿病も,犬の糖尿病も,インスリンを体外から補充しないと生存できないインスリン依存型と体内にあるインスリン(内因性インスリン)だけでも生存が可能なインスリン非依存型に分類され,従来,インスリン依存型糖尿病はⅠ型糖尿病,インスリン非依存型糖尿病はⅡ型糖尿病という分類と同一のものと考えられてきた。しかし,近年この考え方については議論があり,平成11年に日本糖尿病学会が発表した病因を基準としたヒトの糖尿病の新しい分類では,膵β細胞が破壊され,通常インスリンの絶対的不足へ進行するものを1型糖尿病とし,2型糖尿病にはインスリン抵抗性を示すものとインスリン分泌不全を示すものとがあるとし,さらにその他の特定の機序・疾患によるものがあるとしている。そして,1型糖尿病でも初期の段階ではインスリン補充を必要としないケースがあり,2型糖尿病でもインスリン補充が必要となるケースもあるので,1型糖尿病の中にもインスリン依存型糖尿病とインスリン非依存型糖尿病が存在することになるとされている。
 もっとも,犬の糖尿病については,発症機序には不明な点が多く,ヒトのように分類が明確にされていないが,犬の糖尿病は病状が進行した状態で発見されることがほとんどであるため,病状としては,大部分がインスリンを必要とするインスリン依存型糖尿病であるとされている。

イ そして,証拠(アで掲げた各証拠及び認定事実の後に掲げる証拠)によれば,犬の糖尿病の診断や治療は次のように行うものとされていることが認められる。

(ア) 臨床症状
 多尿,多飲,多食,体重減少のほか,軽度の脱水,脂肪肝による肝腫大
(ALP,GOT等の上昇)等の肝疾患がみられることがあり,場合によっては白内障も起こる。

(イ) 診断
 空腹時の高血糖値が持続することで判断されるのが通常である。
 空腹時血糖値の正常範囲は,文献では50又は60〜100とされており(甲B3,B6),F動物病院では75〜117,被告病院では79〜131又は50〜124とされていた(甲A1,A3,乙A1−4から1−6まで)。そして,糖尿病とされるのは,文献によって多少異なるが,空腹時血糖値が130又は150を超える場合(食後血糖値が200を超えることを指標の一つに挙げる文献もある(甲B8)。)であり,180程度を超えると糖尿病の臨床症状が出現し始める。

(ウ) 治療
a 食事療法
 適切な食事療法は,全ての犬で行われる必要があり,肥満をなくし,食後の血糖の変化を最小限にするため,食物を与える時間とカロリー量の一貫性を維持し,繊維を豊富に含む食物を与える。インスリン要求量を下げる効果もある。

b 運動療法
 運動は,体重を減らすのを補助し,肥満によるインスリン耐性を除くことで,グルコース制御を維持するとともに,主にインスリンの投与部位からのインスリン動員を促進することによってグルコースを減らす役目があり,犬の場合,適切な運動はインスリン要求量を減らすことができる。

c インスリンの投与
 糖尿病と診断される場合,体重コントロール,適切な食事管理,適切な運動に加え,大部分の例でインスリンの投与が必要となる。留置カテーテルによる持続点滴が可能な施設では,低血糖等の副作用に対処しやすいことから,比較的早い時期にインスリンの投与を開始するようであるが,初診時に血糖値が300台であれば,インスリンを投与するとは限らないとの意見がある(甲B25)。

 インスリンには,速効型,中間型,遅効型の3種類があり,症状や環境によって使い分ける(中間型が選択されることが多い。)。多くは,短期間の入院の後,獣医師の指示に従って飼い主が毎日注射(皮下注射)することになる。過剰投与や食事を与えずにインスリンを投与したり激しい運動をしたりした場合に低血糖が生じる場合があり,日常生活上の管理が必要である。

d 経口血糖降下剤の投与
 グリベンクラミド(オイグルコン)などのスルフォニル尿素剤は,ヒトの糖尿病に対して使用されるものであるが,インスリン分泌を促進する経口血糖降下剤であり,これが効果的に作用するにはまだ膵臓β細胞のインスリン分泌能力が残存していなければならない。
 犬の糖尿病にも,投与するインスリンの量を減らすためにヒトに対して使用するスルフォニル尿素剤が併用されることはある(甲B5,B8)が,犬の糖尿病の場合は,ヒトの糖尿病と異なり,糖尿病と診断された時点では,大多数はβ細胞が既に破壊され,インスリンの分泌が極端に少なくなった状態になっていることから,その効果は余り期待できない(甲B5,B7,B8,B10,B11,B25)。
 また,犬に対するスルフォニル尿素剤の毒性は明らかでなく(甲B9),病状を悪化させる危険性を指摘する意見もある(甲B9,B25)。特に,グリベンクラミド(オイグルコン)は,ヒトに投与される場合,効能・効果として,インスリン非依存型糖尿病(ただし,食事療法・運動療法のみで十分な効果が得られない場合に限る。)とされており,重症ケトーシス,糖尿病性昏睡又は前昏睡,インスリン依存型糖尿病の患者,重篤な肝機能障害又は腎機能障害のある患者,下痢,嘔吐等の胃腸障害のある患者等は禁忌とされている(甲B1,B4,B13,B14,B17)のであるから,インスリン依存型糖尿病が大部分である犬に対する投与については,その効能・効果の点からも,また危険性の点からも十分な注意が必要である。

(2) 犬の糖尿病性ケトアシドーシスについて
 証拠(甲B3,B6からB9まで,B11,B12,B25,乙B1)によれば,犬の糖尿病性ケトアシドーシスについては,獣医療において,一般に,次のように理解されているものと認められる。
 相対的又は絶対的にインスリンが不足すると,ブドウ糖を栄養素としてうまく処理できなくなるため,他の栄養素である脂肪の分解が増加し,血漿遊離脂肪酸の利用が増加して,ケトン体の産出を促進する。ケトン体が血液に蓄積し続けると,血液が酸性になる代謝性アシドーシスが進行し,臓器を障害するようになり,脳の機能を抑制して昏睡状態になることもある。
 このように,糖尿病が進行すると,血中にケトン体が増加し,代謝性アシドーシスになる病態が糖尿病性ケトアシドーシスであり,最もよく起こる重大な糖尿病の続発症であるが,その診断や治療は次のように行う。

ア 臨床症状
 前記糖尿病の臨床症状に加え,沈うつ,食欲不振,嘔吐,下痢が現れるほか,昏睡状態に陥ることもあり,重度の糖尿病性ケトアシドーシスでは生命に危険が生じる。犬の一部には多飲,多尿,嘔吐,虚弱及び沈うつが急激に出現する場合がある。
 多くの場合は,多飲,多尿等の糖尿病の典型的症状が現れていたはずであるが,通常は,1,2日又は1週間という短い期間に急に体の具合が悪くなったようにみえるとの指摘がなされており,一旦糖尿病性ケトアシドーシスが進行し始めると,急速に症状が悪化することが多い。

イ 診断
 持続性の空腹時高血糖,尿糖及びケトン尿が確認されれば糖尿病性ケトアシドーシスであると確定診断できる。

ウ 治療
 糖尿病性ケトアシドーシス,特にケトアシドーシス性昏睡が起こっている症例は,積極的な緊急治療が必要であり,管理が不適切であれば致死率が高い複雑な疾病である。そして,治療による併発症の危険を最小限にし,治療に対する成功の機会を得るために,全ての異常な所見を36〜48時間かけて徐々に正常に戻し,患犬の肉体的精神的状態を何度も(少なくとも1日3,4回)評価し,時間を追って生化学検査をする必要がある。
 治療目標としては,脱水及び電解質の欠乏の補正,アシドーシスの補正,適切な量のインスリンの供給(高血糖を徐々に改善し,ケトン体の生成を停止させる),インスリン療法中に必要になる炭水化物の供給などが挙げられ,具体的には以下の治療が必要である。

 (ア) 輸液療法
 体液の損失を補い,正常な体液平衡を維持することは,適切な心拍出量,血圧,全組織への血液の灌流を保証するのに重要であり,特に腎臓への血流を改善することが不可欠である。また,輸液によって,脱水が改善されるだけでなく,糸球体ろ過量及び尿量が増加することによりグルコースの排泄が増加し,血漿中グルコース濃度が低下するという効果もある。
 治療していない糖尿病性ケトアシドーシスの犬では,血清中カリウム及びリン濃度が低下又は上昇していることがあり,インスリンの投与を開始すると,カリウムとリンが血中から減少し,低カリウム血症及び低リン血症(前進的な筋力低下,食欲不振,嘔吐及び腹部膨満を伴う胃腸間の運動停止,呼吸不全,不整脈,心停止等)が生じる危険があることから,カリウム及びリン酸を添加する必要がある。

 (イ) インスリン療法 
 糖尿病性ケトアシドーシスには速効型のインスリン(レギュラーインスリン)が推奨され,特に,沈うつ,脱水,食欲不振,嘔吐がみられる症例の初期治療には,速効型インスリンが使用される。食欲が良好で,状態が悪くない場合には,最初は中間型又は長期間作用型のインスリンで治療することも可能である。なお,インスリン投与法については,間欠的な筋肉内注射,持続的な低用量点滴静脈内注射,初期は筋肉内注射でその後間欠的皮下注射があるが,どの投与法も血糖とケトン体の濃度を下げるのに効果的である。
 なお,被告らは,インスリン療法を行うに当たっては,血中インスリン濃度の測定が必要であると主張するが,インスリンの投与量の決定・調整をするには,血糖値,尿糖,ケトン尿を測定することで足り,必ずしも血中インスリン濃度の測定は必要ではないと解される(甲B7からB9,B11,B12,B25)。

 (ウ) 重炭酸塩療法
 血漿重炭酸塩濃度や静脈総CO2濃度,臨床症状をみて,血中phの改善のために重炭酸塩(重炭酸ナトリウム)の補給が必要かどうか判断する。重炭酸塩を急速に又は過剰に投与すると,頭蓋内出血,代謝性アルカローシス,低カリウム血症等が生じる危険があるから,血漿重炭酸塩濃度や静脈総CO2濃度が不明の場合には,動物がかなり重篤でない限りは投与しないか,1回だけ投与する。

 (エ) 動物の監視
 最初は血糖の測定を1,2時間ごとに行うほか,水和状態,呼吸,脈拍を2から4時間ごとに評価し,それに従って輸液を調節する。血清電解質と静脈CO2濃度については6から12時間ごとに評価し,それにしたがって輸液と重炭酸塩療法を調節する。また排尿量,糖尿,ケトン尿を2時間ごとに評価し,それに従って輸液を調節し,体重,体温,血圧等を毎日評価するなど,犬の状態の継続的な監視が必要である。

(3) 本件患犬の状態及び被告病院等における処置について
 ア 平成14年12月28日
 同日朝,本件患犬は嘔吐し,少し元気がない様子であった(甲A8,C14,原告A本人)ので,原告らは,伊豆下田へ旅行に行く途中,午前10時ころ,熱海でF動物病院に立ち寄って,本件患犬の治療を受けたが,同病院では,血液検査の結果,血糖値(F動物病院で正常範囲としているのは75〜117)が338,GOT(同病院で正常範囲としているのは41未満)が60,GPT(同病院で正常範囲としているのは123未満)が201,ALP(同病院での正常範囲は132未満)が2900,カリウム(同病院で正常範囲としているのは4.4〜5.4)が3.0を示し,同病院の医師から,自分であればすぐインスリンを投与する状態であり,かかりつけの獣医師にインスリンを投与してもらうようにと言われた(診療経過一覧表,甲A1(枝番を含む。以下,枝番のある書証については,特に枝番を示さない限り,全ての枝番を含む。),A8,C14,原告A本人)。
 そこで,原告らは,すぐに東京に引き返して本件患犬を被告病院に連れて行き,被告A及び被告Bの診察を受けて,午後1時ころ検査したところ,血糖値(被告病院で正常範囲としているのは50〜124)が365であり,原告らが旅行を続けられないかと質問したが被告Aから旅行の中止を勧められた(診療経過一覧表,甲A3,A4,A8,乙A1,被告A本人)。被告病院では,タウリン(強肝剤),バナジウムウォーター,ヒルズw/d(低カロリー高繊維食)が処方され,尿検査をするから,帰宅後に尿を持参するように言われ,原告らは,本件患犬を連れて帰宅した(診療経過一覧表,甲A4,A8,C14,乙A1)。その際,本件患犬の活動性は保たれていた(甲A8,C14,被告A各本人)。
 同日午後4時ころ,原告らが本件患犬の尿を持参して被告病院に再来院したところ,被告Bが尿検査を担当したが,その結果は,尿糖がプラス4,ケトン体がプラス3(正常値はいずれも0である(甲B9)。)であった(診療経過一覧表,甲A3,A8,C14,乙A1,A5,被告B本人。尿検査の結果は,すぐに被告Bから被告Aに伝えられた(乙A4,被告A本人)。)。その後,本件患犬は午後6時半までは食欲はなかったが,午後6時半にビルズw/d及びタウリンを与えたところ,食欲は比較的あった(診療経過一覧表,甲A8,C14,原告A本人)。しかし,午後8時の時点で嘔吐が始まり,翌朝までに6回嘔吐し,意識はあったが,ぐったり寝たきりの状態であった(診療経過一覧表,A4,A8,A13,C14,乙A1,A4,原告A・被告A各本人)。

イ 同月29日
 原告らは,本件患犬を被告病院に連れて行ったところ,被告A及び被告Bが担当し,午前9時30分の時点では,血糖値が398,白血球(被告病院で正常範囲としているのは60〜140)が318,GOT(被告病院で正常範囲としているのは9〜69)が73,GPT(被告病院で正常範囲としているのは13〜53)が152,ALP(被告病院で正常範囲としているのは142未満)が3000以上,カリウム(被告病院で正常範囲としているのは3.4〜5.2)が2.7であり,被告病院に入院することになった(診療経過一覧表,甲A3,A6,乙A1,A4,原告A・被告A・被告B各本人)。この際,本件患犬は,少しぐったりしていたが,活動性は認められた(甲A8,C14,被告A本人)。
 午後4時50分にビルズw/dを与えた後,午後6時10分の時点での血糖値は559,同月30日午前0時の時点での血糖値は509であった(診療経過一覧表,甲A3,A6,乙A1。被告Aは,この結果を同月30日の朝に聞いた(乙A4)。)。
 また,同月29日にはソルラクトS500サブビタンが点滴され,ミノファーゲンC及びセファゾリンナトリウムが投与された(診療経過一覧表,甲A4,乙A1)。

ウ 同月30日
 午前8時50分の血糖値は446であり,活動性はあったが,嘔吐があった(診療経過一覧表,甲A6,A8,乙A1)。ソルラクトS500サブビタンが点滴され,ミノファーゲンC及びセファゾリンナトリウムが投与された(甲A6,乙A1)。
 午後0時15分にはオイグルコン1錠が経口投与された(甲A6,乙A1)。
 午後6時30分の血糖値は503であった(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。
 午後6時50分にはオイグルコン1錠及びタガメット1錠が経口投与された(甲A6,乙A1)。
 
 エ 同月31日
 同日の本件患犬の状態は,排尿・排便はあり,活動性はあったが,食欲がなく,嘔吐があった。
 血液検査の結果は,赤血球(正常範囲は650〜850)が479,ヘマトクリット値(正常範囲は45±7)は32.5,血糖値が442,GOTが132,GPTが40,ビリルビン(正常範囲は0.3〜0.9)が1.3,カリウムが2.3であった(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。
 同日には,オイグルコン1錠及びタガメット1錠が2回経口投与され,ソルラクトS500サブビタン(ソルビトール乳酸リンゲル液(乙B2))が点滴され,ミノファーゲンC(強肝剤)及びセファゾリンナトリウムが投与された(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。

 オ 平成15年1月1日
 午前10時40分の血液検査の結果は,赤血球が379,ヘマトクリット値が25.4,血糖値が469,GOTが87,GPTが28,ビリルビンが1.4,カリウムが2.2,ALPが3000以上であった(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。
 同日の本件患犬の状態は,排尿・排便があり,活動性はあり,午前中には食欲があったものの,午後は食欲がなく,また,午後0時30分には嘔吐もあった(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。
 同日には,オイグルコン1錠及びタガメット1錠が2回経口投与され,ソルラクトS250サブビタンが点滴され,ミノファーゲンC及びセファゾリンナトリウムのほか,ビタミンB12が投与され,午後からアスパラK(カリウム補助剤)が2回投与された(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。

 カ 同月2日
 本件患犬の状態は,尿はあったが,食欲がなく,嘔吐もあり,活動性の低下がみられた(診療経過一覧表,甲A6,乙A1,A5,被告B本人)。血液検査の結果,赤血球が372,ヘマトクリット値が25.4,血糖値が436,GOTが109,GPTが20,ビリルビンが2.2,カリウムが2.4,ALPが3000以上であった(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。
 同日には,オイグルコン1錠,タガメット1錠及びアスパラKが2回投与され,ソルラクトS250サブビタンが点滴され,ミノファーゲンC,セファゾリンナトリウム及びビタミンB12が投与された(診療経過一覧表,甲A6,乙A1)。
 しかし,同日午後,原告らの希望によって,E動物病院へ転院することになり,午後6時ころに原告らが本件患犬を引き取りに行ったところ,本件患犬は原告らの呼び掛けにも反応せず,ぐったりした状態(起立不能)であり,午後7時30分ころにEに到着したときも,同様の状態であり,意識レベルも低下していた(診療経過一覧表,甲A7,A8,B2,C14)。E動物病院では,糖尿病性ケトアシドーシス及び重度の肝障害であると判断されたため,重炭酸塩(重炭酸ナトリウム)の単発投与のほか,点滴,インスリン,強肝剤,抗生物質の投与が継続された(甲A7,B2,証人G)。

 キ 同月3日
 本件患犬の状態は,夜間は呼吸様式は浅促であったが,落ち着いており,顔つきもはっきりし,呼び掛けに対して反応するようになったほか,意識的な排尿・排便が確認され,朝の血液検査時には血糖値の低下がみられた。しかし,同日夜になって,呼吸様式の悪化があり,マスクによる酸素吸入,気管挿管等を施したが,同日午後10時20分に死亡した。(甲B2)
 死因としては,G証人作成の臨床経過報告書(甲B2)において,直接の死因は確定できないが,高血糖状態及び肝機能障害の持続が考えられるとしているが,肝機能障害の原因としては糖尿病・糖尿病性ケトアシドーシスが考えられ(甲B3,B6,B8,B9,B11),また,前記のような本件患犬の状態に照らすと,本件患犬が肝機能障害のみで死亡に至る状況であったとは考えにくく,本件患犬の死亡は糖尿病及びそれに続発する糖尿病性ケトアシドーシスが進行したことによるものと解するのが合理的である(甲B7,被告A本人)から,糖尿病性ケトアシドーシスが進行したことによって本件患犬は死亡したものと認められる。

(4) 被告らの注意義務について
ア 前記の本件患犬の状態に照らすと,平成14年12月28日の時点で,300を超える高血糖が認められており,糖尿病であったことが認められるので,同日時点で食事療法や運動療法とともに,インスリンを投与するという治療方法をとることが検討されるべきである(証人G。被告病院においては,留置カテーテルによる持続点滴が可能であり(被告A本人),比較的早期にインスリン投与を開始することが可能であった。)が,血糖値が300台でとどまっていたこと,インスリン投与による低血糖等の副作用の危険性があること,同日時点では活動性は保たれていたと認められることを考えると,インスリンを投与せず,高繊維の処方食(ビルズw/d)等を与える食事療法や運動療法によって,ひとまず血糖値の推移や臨床症状の様子をみることも,治療方法の一つとして認められるものと解される(甲B25)。
 もっとも,平成14年12月28日午後4時の時点で,尿糖がプラス4,ケトン体がプラス3であり(正常値はいずれも0であり(甲B9),相当の異常値である(証人G)。),以後もケトン体が蓄積すると考えられる(被告A本人)し,血糖値については,同日午前10時ころは338,午後1時ころは365であったものの,同月29日午前9時30分は398,午後6時10分は559(この数値については,午後4時50分にビルズw/dが投与されていることから,空腹時血糖値ではない可能性がある。),翌30日午前0時は509であり,同月29日には血糖値の低下が期待できる輸液が行われていることも考慮すると,同月29日には血糖値の上昇がみられ,持続的な空腹時高血糖があると解され,同月29日の段階では,本件患犬は既に糖尿病性ケトアシドーシスを発症していたものと認められる。
 なお,同月28日早朝及び同日夜から翌29日朝にかけて6回嘔吐があったことについて,嘔吐の原因としては糖尿病性ケトアシドーシス以外にも考えられるところである(甲B3)が,本件患犬には,尿糖が認められ,血糖値も高値で推移している(特に,同月29日夜には血糖値は500を超える高値を示している。)ほか,ケトン体が認められており,食物も余り食べてないにもかかわらず,嘔吐の回数も頻繁で,断続的であることからすると,嘔吐の原因が胃腸病等の他の疾患であるとは考え難く,糖尿病性ケトアシドーシスの症状であると考えるのが最も合理的であり,同月29日の段階でも嘔吐の原因は糖尿病性ケトアシドーシスであると判断可能であったと解される。
 そして,糖尿病性ケトアシドーシスは,発症すると病状の進行が急速であり,その治療は急を要するものである(甲B3,B6,B7,B9,B11)ところ,本件においては,前記のとおり,嘔吐が頻繁にみられる状況になっており,早急に治療が必要であったと認められる。
 そして,被告A及び被告Bは,平成14年12月28日,29日の本件患犬の治療にかかわっており,本件患犬の状態を把握していた(乙A4,A5,被告A・同B各本人。被告Aは,同月29日午後6時10分,同月30日午前0時の血糖値を同日朝に聞いて把握していた(乙A4)。)のであるから,同月29日,遅くとも翌30日の診察開始時には,本件患犬に対し,糖尿病性ケトアシドーシスに対する治療を開始すべき義務があったというべきである。
 具体的には,被告A及び被告Bは,遅くとも同月30日の診察開始時の段階で,糖尿病に対する食事療法や運動療法を行うほか,本件患犬の状態を監視しながら,輸液療法及びインスリン療法を行い,重炭酸塩療法の実施を検討すべきであったというべきである。
なお,糖尿病性ケトアシドーシスの患犬に対してインスリンを投与する場合,特に厳重な監視が必要となるところ,被告Aは平成15年1月1日から同月6日まで旅行に行く予定であったが,被告病院はO区でも有数の動物病院であり(証人G),被告A夫妻(いずれも獣医師)以外に7人の獣医師が勤務し,うち被告Bを含む4人は被告病院の上に住んでおり,年末年始に被告Aが不在の場合でも,これらの治療を行うことは人的・物的設備の面からも可能であったと認められる(乙A5,被告A・同B各本人,弁論の全趣旨)。また,被告らが主張するように,インスリンは一旦使用すると継続して使用する必要があるが,被告Aは平成11年4月から本件患犬を診察しており(前記前提事実),本件患犬の飼い主である原告らがインスリン投与の負担を厭うようなことはないことを十分に知っていたものと認められる。
 しかし,被告A及び被告Bは,糖尿病・糖尿病性ケトアシドーシスの状態にある本件患犬に対し,ビルズw/d等の投与(食事療法)及び輸液療法を行ったのみで,同月29日にも,同月30日の診察開始時にもインスリンの投与を行っておらず,獣医師として,本件患犬に対して行うべき治療を行わなかった義務違反があるというべきである。

 なお,輸液療法によって血漿中グルコース濃度が低下するという効果があるが,直接血糖を低下させる因子はインスリンのみであり(甲B8),糖尿病性ケトアシドーシスに対する治療として,また本件患犬の症状(血糖値,尿糖,ケトン体等)に照らし,食事療法及び輸液療法のみでは不十分というべきである。また,被告病院では,同月30日以降,スルフォニル尿素剤であるオイグルコンの投与が行われているが,前記のとおり,犬の糖尿病はインスリン依存型が大部分であること(このことは被告Aも認識している(被告A本人)。)から,スルフォニル尿素剤は余り効果が期待できず,かえって病状を悪化する危険性も指摘されているのであるから,既に嘔吐を伴う糖尿病性ケトアシドーシスを発症している本件患犬に対し,インスリンの代わりにオイグルコンを投与することが適切な治療であったと認めることはできない。

イ カリウム値について
 被告らは,血液生化学検査でカリウムの低下があり,カリウムの低下はそれだけでも心不全の危険があるので,糖尿病の症状がまだひどくない段階で,インスリンの投与は心不全の危険があり,その危険を上回る有用性が認められなかったため行わなかったと主張し,被告A及び被告Bもこれに沿う供述をする(被告A・同B各本人)。
 確かに,本件患犬のカリウム値は平成14年12月29日の段階で既に2.7と正常範囲(被告病院で正常範囲としているのは3.4〜5.2)を下回っており(甲A6,乙A1),インスリンの投与により,さらに低下することが予想され,低カリウム血症の症状が出る可能性があった(乙B1)。
 しかし,犬の場合,血清カリウム濃度が2.5以下になるまで神経系や心血管系の障害,骨格筋の衰弱などの症状は明らかにならず(乙B1),インスリン投与によって低下が予想されるカリウム値は0.2から0.3程度である(被告A本人)し,一般的に,糖尿病性ケトアシドーシスにおいては,血清中のカリウム値が低いことがあり,その場合であっても輸液等にカリウムを添加しながらインスリンの投与を行うとされているのである(甲B7,B9,B11)から,カリウムを添加することによって対処可能であり(証人G),同月29日又は同月30日の診察開始時の段階で本件患犬にインスリンを投与しても直ちに生命に危険がある状態に陥るとは認められず(被告A本人),他方,前記のとおり,本件患犬は,同月29日には既に糖尿病性ケトアシドーシスに至っており,嘔吐が頻繁にみられるような状態であり,放置しているとケトン体の蓄積が進んで生命に危険が及びかねないことから,緊急な治療が必要な状態であった。
 したがって,同月29日又は同月30日の診察開始時の段階でインスリンを投与することによる危険性がその有用性を上回り,インスリン投与を躊躇すべきような状態であったとは認められない。
 さらに,被告病院においては,カリウム値について,同月29日午前9時30分の検査時に測定して以降,同月31日の血液検査まで測定しておらず,低カリウム血症を悪化させるおそれがあるミノファーゲンC(甲B18,B19)の投与を継続しているし,平成15年1月1日午後になるまでアスパラK(カリウム補助剤)を投与しなかったことも合わせ考えると,被告A及び被告Bが同月29日又は同月30日の診察開始時の段階でカリウム値を重視したためにインスリンの投与を控えたとは認め難い。

ウ 以上のとおりであるから,被告A及び被告Bには,遅くとも同月30日の診察開始時の段階で行うべきインスリンの投与をしなかった過失があるものと認められる。

(5) 因果関係について
 そこで,遅くとも平成14年12月30日の診察開始時の段階でインスリンの投与がなされていた場合に本件患犬の死亡が避けられたかどうか,相当因果関係の有無が次に問題となる。
 この点,ケトアシドーシス性糖尿病は,未だ代謝治療上極めて困難なものの一つであり,重度の糖尿病性ケトアシドーシスの犬や猫のうち,約30パーセントが死亡するか,最初の入院中に安楽死させることになるとする文献もある(甲B7)。そして,本件患犬の状態については,平成14年12月28日時点で既に嘔吐がみられ,高血糖,尿糖,ケトン尿が認められており,翌29日にかけて頻繁に嘔吐を繰り返し,同日には血糖値も上昇し,既に糖尿病性ケトアシドーシスの状態となっていたと認められ,現実にも同月30日以降も嘔吐が続き,輸液等によっても症状は改善せず,平成15年1月2日の夜以降,Eでインスリン投与等がなされてたにもかかわらず,翌3日午後10時20分に死亡するに至ったという経緯に照らすと,平成14年12月30日の診察開始時における本件患犬の糖尿病・糖尿病性ケトアシドーシスの症状は相当程度進行していた可能性がある。
 しかし,注意深く監視しながら,きめ細かい治療を行えば,糖尿病や糖尿病性ケトアシドーシスに対する治療効果を上げることが可能であるとされており(甲B7,B9,B11),治療開始が早ければ早いほど救命可能性が高くなると考えられるところ,平成14年12月27日以前の段階では本件患犬に何ら臨床症状が認められておらず(原告A本人),前記のとおり,平成15年1月1日までは活動性がある程度維持されており,翌2日夜からのEでのインスリン投与等によって一時的な状態の改善がみられたのであるから,遅くとも平成14年12月30日の診察開始時に本件患犬に対するインスリン投与が開始され,糖尿病・糖尿病性ケトアシドーシスに対する積極的かつきめ細かな治療が開始されていれば,その後継続的なインスリンの投与が必要にはなるが,少なくとも糖尿病性ケトアシドーシスの急速な進行による本件患犬の死亡は避けられたものと認められる。

(6) 被告A及び被告Bの責任
 したがって,被告A及び被告Bには前記過失による不法行為(共同不法行為。以下「本件不法行為」という。)が成立し,連帯して,本件不法行為によって原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(7) 被告Cの責任
 被告Cについては,平成15年1月2日に本件患犬の治療に携わったことが認められるが,それ以前に本件患犬の治療に関わったと認めるに足りる証拠はなく,同日の治療も,それまで本件患犬の治療を担当してきた被告Bと一緒に治療を行ったものである(診療経過一覧表,乙A4,A5,被告A・同B各本人)。
 したがって,被告Cが,同日の時点で,自らの判断で直ちにインスリンを投与しなかったことに過失があるとまでは認められないし,前記のとおり,平成15年1月2日夜にはEにおいてインスリンの投与が開始されたが,本件患犬の死亡は避けられなかったのであるから,仮に被告Cが同日のもう少し早い時点でインスリンを投与したとしても,本件患犬の死亡という結果は避けられなかった可能性が高いものと認められる。
 したがって,被告Cに不法行為責任があると認めることはできない。

2 争点(2)(原告らの損害及び損害額)について
 前記のとおり,被告A及び被告Bは,連帯して,本件不法行為によって原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。
(1) 逸失利益
 原告らは本件患犬の死亡による逸失利益の賠償を請求しており,確かに,本件患犬は血統書付きの犬で(甲C2,C3,C18,C22),多数の表彰等を受けたことがあり(甲C4からC8まで),平成9年10月5日には日本スピッツ協会から種犬認定を受けており(甲C9),繁殖可能な年齢であることは認められる(甲C15,原告A本人)。
 しかし,原告らは本件患犬を子供のように思って育ててきたものであり,本件患犬を売却したり繁殖させたりする意思はなかったことは明らかである(甲A8,C13,C14,C21,C37,原告A本人)から,本件患犬の交換価値を算定することは困難である(原告らは,本件患犬の取得価格等の主張はしておらず,交換価値を損害とすることは,原告らの求めるところでもないと解される。)し,繁殖させることができなくなった逸失利益が発生したと認めることもできない。
 したがって,原告らの主張する逸失利益の賠償はこれを認めることはできないが,本件患犬が上記のような犬であったことは,慰謝料の算定において考慮することとする。

(2) 治療費                  各4万8105円
ア 被告病院における治療費相当の損害前記のように,被告病院におけるオイグルコンの投与は適切なものとは認められず,インスリンの投与が行われていれば,必要のなくなった治療も存在するものと推認されるが,被告病院において行われた食事療法,輸液等の治療が糖尿病・糖尿病性ケトアシドーシスの治療として全く必要のないものであったともいえないので,原告らの主張する被告病院における治療費7万5240円(この金額については,被告らは争っていない。)の半額である3万7620円が被告A及び被告Bの本件不法行為によって原告らが被った損害と認めるのが相当である。

イ Eにおける治療費相当の損害
Eにおける治療費5万8590円(甲C1)は,全額被告A及び被告Bの本件不法行為によって原告らが被った損害と認められる。

ウ 各原告の損害
原告らは,ア,イの損害合計9万6210円について,それぞれその2分の1(4万8105円)ずつ損害を被ったものと認められる。

(3) 葬儀費用 各5000円
 ペットが死亡した場合には死体の埋葬等に一定の費用がかかることが認められ(甲A14,C10),その費用相当の損害としては1万円と認めるのが相当であり,原告らはそれぞれその2分の1(5000円)ずつ損害を被ったものと認められる。

(4) 慰謝料                     各30万円
 犬をはじめとする動物は,生命を持たない動産とは異なり,個性を有し,自らの意思によって行動するという特徴があり,飼い主とのコミュニケーションを通じて飼い主にとってかけがえのない存在になることがある。原告らは,結婚10周年を機に本件患犬を飼い始め,原告Aの高松への転勤の際に居住した社宅では,犬の飼育が禁止されているところを会社側の特別の許可を得て本件患犬を飼育したほか,その後の東京への転勤の際には本件患犬の飼育環境を考えて自宅マンションを購入し,本件患犬の成長を毎日記録するなど,約10年にわたって本件患犬を自らの子供のように可愛がっていたものであって,原告らの生活において,本件患犬はかけがえのないものとなっていたことが認められる(甲A8,C11,C13,C14,C19からC24まで,C37,原告A本人)。また,原告らは,以前に飼育していた犬が病死したことから,本件患犬を老衰で看取るべく(スピッツ犬の寿命は約15年である。),定期的に健康診断を受けさせるなどしてきたにもかかわらず,約10年で本件患犬が死亡することになったものであって,本件以降,原告Bがパニック障害を発症し,治療中であること(甲C11)からみても,原告らが被った精神的苦痛が非常に大きいことが認められる。
 そこで,本件患犬が前記(1)で認定したような犬であったことも合わせて斟酌すると,原告らが被った精神的損害に対する慰謝料は,それぞれ30万円と認めるのが相当である。

(5) 弁護士費用                    各5万円
 本件事案の内容その他諸般の事情を考慮すると,弁護士費用相当の損害としては,原告らそれぞれについて5万円と認めるのが相当である。

(6) 合計
 原告らの損害額の合計は,各40万3105円となる。

第4 結論
 よって,原告らの請求は,被告A及び被告Bに対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,連帯して,それぞれ40万3105円及びこれに対する不法行為日後の日である平成15年8月4日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,原告らの被告A及び被告Bに対するその余の請求並びに被告Cに対する請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第30部

裁判長裁判官  福 田 剛 久
裁判官  吉 岡 大 地

裁判官村主幸子は,転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官  福 田 剛 久