飼い主の有するペットに対する治療法選択に関する自己決定権が侵害されたと認定して、治療費、慰謝料及び弁護士費用の合計42万円の損害賠償請求を認容した事例[死亡による精神的苦痛についての慰謝料=控訴人夫婦各15万円を認容](平成17・5・30名古屋高裁金沢支部)平成15(ネ)330

獣医師は腫瘤の切除手術前に同腫瘤の良性,悪性の判別をするために必要な生検を実施してその結果に基づき飼い主に 治療法の説明をすべき診療契約上の義務があったのに,生検を実施せず,上記説明義務を尽くさないで同手術をしたため,飼い主の有するペットに対する治療法 選択に関する自己決定権が侵害されたと認定して、治療費、慰謝料及び弁護士費用の合計42万円の損害賠償請求を認容した事例[死亡による精神的苦痛につい ての慰謝料=控訴人夫婦各15万円を認容](平成17・5・30名古屋高裁金沢支部)平成15(ネ)330 

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        主    文
1 原判決中,控訴人らの被控訴人aに対する請求に関する部分を次のとおり変更する。
(1) 被控訴人aは,控訴人らに対し,各21万円及びこれに対する平成15年1月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人らの被控訴人aに対するその余の請求を棄却する。

2 控訴人らの被控訴人bに対する控訴(当審における請求拡張部分を含む。)を棄却する。

3 訴訟費用は,控訴人らと被控訴人aとの間においては,第1,2審を通じて,控訴人らに生じた費用の20分の1を被控訴人aの負担とし,その余は各自の負担とし,控訴人らと被控訴人bとの間においては,控訴人らに生じた控訴費用を2分し,その1を控訴人らの負担とし,その余を各自の負担とする。

4 この判決は,第1項(1)に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人らは,控訴人らに対し,連帯して各175万5452円及びこれに対する平成15年1月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。
(4) 仮執行宣言

2 被控訴人ら
(1) 本件控訴(当審における請求拡張部分を含む。)を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。

第2 事案の概要
1  本件は,控訴人らが,その所有するペットの犬(以下「本件犬」という。)について,獣医師である被控訴人c病院ことa(以下「被控訴人a」という。)との間で治療契約を締結して治療を受けたものの,死亡したことに関し,被控訴人らに説明義務違反があり,また,獣医師の資格を有しない被控訴人b(以下「被控訴人b」という。)が上記治療方針の決定に主導的な役割を果たしたとして,被控訴人らに対し,債務不履行又は不法行為に基づき,①治療費18万2200円,②抗がん剤等購入費11万9910円,③慰謝料300万円(控訴人1人当たり150万円),④弁護士費用20万円の合計350万2110円のうち控訴人1人当たり174万6155円及びこれに対する不法行為の後で,訴状送達の日の翌日である平成15年1月24日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めた事案の控訴審である。
 原審は,被控訴人らに説明義務違反はなかったとして,控訴人らの請求をいずれも棄却したところ,これを不服とする控訴人らが本件控訴を提起した。
 控訴人らは,当審において,被控訴人らの治療義務違反を新たに主張し,上記第1,1(2)のとおり請求を拡張した。

2 前提事実
(1) 控訴人ら(以下,個別的には「控訴人A」,「控訴人B」という。)は夫婦であり,平成元年3月18日から,本件犬(ゴールデンレトリーバー,雌,平成元年2月9日生)を所有し,ペットとして飼育していた(甲1,2)。
(2) 被控訴人aは,獣医師の資格を有し,平成3年以降,石川県Y市内において,「c病院」の名称で動物病院(以下「本件病院」という。)を経営している(乙3)。
 被控訴人bは被控訴人aの妻であり,本件病院において被控訴人aの行う診療の補助をしている。
(3) 被控訴人aは,平成11年3月ころ,控訴人らの依頼により,本件犬を初めて診療し,その後も何回か本件犬を診療していたところ,平成14年6月14日,本件犬の左前腕部(左前足)にあった腫瘤(以下「本件腫瘤」という。)を切除する手術(以下「本件手術」という。)を施行した。
(4) 被控訴人aは,平成14年6月24日,本件手術により切除された細胞につき病理組織検査を依頼したところ,同月27日,本件腫瘤が起原不明の肉腫(がんの一種)であることが判明した。
(5) 本件犬は,平成14年7月28日,13歳5か月で死亡した。

3 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 被控訴人らの治療義務違反の有無
(控訴人らの主張)
ア 被控訴人らは,平成12年11月又は遅くとも平成13年8月までに,本件腫瘤があることに気づいたのであるから,その悪性,良性の別を判定するために生検(無麻酔の針生検又は局所麻酔下の針パンチ生検)を行う義務があるのにこれを怠り,悪性,良性の別を判定できる生検を行わないまま放置し,また,本件手術に際しても,生検の実施により必要な切除範囲を検討せず,腫瘤の状態を確認しないまま悪性腫瘤の部分を取り残し,かえって悪性腫瘤を肥大化させ,それにより併発した肺水腫と思われる症状により本件犬を死亡させたから,被控訴人らには治療義務違反がある。

イ 被控訴人らは,控訴人らが本件手術後である平成14年6月21日以降も本件犬を本件病院に通院させた際,本件犬の傷口から何度も出血し,また,傷口が膨らんできていたことを認識したのであるから,本件犬の血液検査を行って適切な治療方針を選択すべき義務があるのにこれを怠り,病理組織検査の結果,本件腫瘤が悪性であることが判明した後も,何ら適切な措置を講ぜず,かえって化膿,壊死している手術部位に抗生物質を投与しないまま副腎皮質ステロイド剤を投与したり,思いつきで傷口を絞り出させるなどしたから,被控訴人らには治療義務違反がある。

ウ 被控訴人らは,本件手術後の平成14年7月25日,本件犬の呼吸異常を認識したから,肺炎,肺気腫,肺水腫という肺の疾患を疑い,そのいずれであるかにより治療方法も異なるため,病因の診断に必要なレントゲン検査を行うべき義務があるのにこれを怠り,かえって病因の診断をしないまま,漫然と肺免疫力の低下につながるステロイド系の薬剤を使用するなどしたから,被控訴人らには治療義務違反がある。

エ 被控訴人らは,本件手術後の平成14年7月28日,息苦しそうにやっと息をしている本件犬に対し,強い痛み止めを注射して,本件犬を死なせたから,被控訴人らには治療義務違反がある。

オ 被控訴人らの上記アないしエの治療義務違反行為により本件犬は死期を早め,平成14年7月28日に死亡するに至った。

(被控訴人らの主張)
 被控訴人aは,次のとおり,本件犬の治療につき最善を尽くしており,治療義務違反はない。また,被控訴人bは,動物の治療について何の資格もなく,本件犬の治療につき控訴人ら主張の義務を負うものではない。

ア 被控訴人aは,平成13年8月,本件腫瘤があることを発見し,触診と針生検を行い化膿巣でないことを確認した。針生検による検査ではこれが限界であり,本件腫瘤が悪性か良性かの判断は病理組織検査を行う必要があり,そのためには腫瘤を摘出しなければならないが,腫瘤が発生し成長するものであれば,一般的に摘出することが最善の治療であり,その腫瘤が悪性か良性かは特別の意味を持つものではない。
 また,被控訴人aは,本件手術に際しても,本件腫瘤とその周辺部分を最大限可能な範囲で切除した。仮に本件腫瘤に一部取り残しがあったとしても,被控訴人aは,視認できる範囲で,かつ,他の組織そのものの機能を維持することも考慮した上で最大限の範囲の切除を行った。

イ 被控訴人aによる本件手術そのものは適切に行われており,ただ本件腫瘤が悪性のものであったため,本件犬の術後が悪く,出血その他の控訴人ら主張の症状が必然的に現れたにすぎない。

ウ 被控訴人aは,本件犬の呼吸異常に対しても十分な治療を行った。

エ 本件犬は,老犬であり,犬としての一般的寿命(10年ないし15年)がきていたところ,腫瘤による体力消耗,肺炎症状の併発により死んだにすぎない。

(2) 被控訴人らの説明義務違反の有無
(控訴人らの主張)
ア 被控訴人らは,本件手術を行うに際し,控訴人らに対し,本件犬の症状(本件腫瘤の悪性,良性の別),本件手術による回復の見込み,本件手術により生ずる危険,本件手術を施行しない場合に予想される結果等について説明すべき義務があったのにこれを怠り,控訴人らに対し,本件腫瘤が悪性か良性かはわからないが,摘出するしかないと説明するにとどまったから,被控訴人らには説明義務違反がある。
 控訴人らは,本件犬が老犬であり,本件手術前の手術の予後があまり良くなかったことから,本件犬に対する再度の手術はできるだけ避けたいと考えていたのであり,そのような控訴人らの意向は被控訴人らにおいて認識していた。したがって,控訴人らは,仮に本件腫瘤について悪性の可能性があること,あるいは,良性のものであっても手術が危険なものであることについて被控訴人らから説明を受けていれば,本件手術に同意せず,穏やかな老後を送らせる選択をしたものである。そして,本件手術前の本件犬の体調は良かったから,本件犬は,本件手術を受けなければ,本件手術の1か月半後に死亡するようなことはなかったのであって,被控訴人らの上記説明義務違反と本件犬の死亡との間に因果関係が存在する。

イ 被控訴人らは,本件手術後の病理組織検査の結果,本件腫瘤が悪性である旨判明したのであるから,これを控訴人らに告知する際,あわせてより高度な治療方法や,本件犬に苦痛を与えないための安楽死の選択についても説明すべき義務があったのにこれを怠り,アガリクス茸等の民間療法を説明するにとどまったから,被控訴人らには説明義務違反がある。

ウ 被控訴人らは,本件手術後の本件犬において,傷口からの出血や,傷口が膨らみ,やわらかくなったり,呼吸困難に陥ったりするなど,異常が発生していたのであるから,控訴人らに対し,その時々の本件犬の症状,その原因,適切な治療方法等を説明すべき義務があったのにこれを怠り,上記イの民間療法を説明するにとどまったから,被控訴人らには説明義務違反がある。

(被控訴人らの主張)
 一般に,獣医師が,ペット診療に際し,飼い主に対し,当該ペットの症状や治療方法等に関する説明義務を負担することは認めるが,被控訴人aは,次のアないしウのとおり,控訴人らに対し,本件犬の治療につき十分説明を尽くしたから,説明義務違反はない。また,本件犬は,上記(1)で主張したとおり,その寿命と本件腫瘤による体力消耗等により死亡したのであり,本件手術により死亡したものではない。
 被控訴人bが,本件犬の治療につき控訴人ら主張の義務を負うものではないことは争点(1)の場合と同じである。

ア 被控訴人aは,平成13年8月に本件腫瘤を認めた際,控訴人らに対し,本件腫瘤が悪性か良性かは病理組織検査を行う必要があるが,そのためには腫瘤を摘出しなければならないこと,今後,本件腫瘤の肥大化が進むようなら,いずれ摘出する必要があるが,これは本件腫瘤が悪性か良性かは関係がないことを説明した。被控訴人aは,その後も,本件犬を継続的に診察する過程で,本件腫瘤が成長して固くなっており,これを放置すれば,既に後ろ足の悪かった本件犬が歩行困難等に陥ること,成長する腫瘤の最善の治療方法は切除のみであることを説明した。

イ 腫瘤が悪性の場合であっても,犬の治療として,人間における抗がん剤の投与や放射線治療を行うことはまずないから,これを説明する義務はない。

ウ 本件犬の術後の推移は病気の自然な経過であり,被控訴人aは,控訴人らから診察を依頼されるたびに一般的に要求される程度の説明はしていた。

(3) 被控訴人bの主導的役割を根拠とする損害賠償責任の有無
(控訴人らの主張)
 被控訴人bは,本件病院において,被控訴人aと共同して,ペットの治療及び医療上の説明をするなど,主導的な役割を担ってきたのであるから,被控訴人aと共同して損害賠償責任を負う。
(被控訴人bの主張)
 否認する。

(4) 控訴人らの損害
(控訴人らの主張)
ア 治療費
 控訴人らは,本件手術の施行日以降である平成14年6月14日から同年7月24日までの間,本件犬に関する治療費として合計18万5000円を要した。
イ 抗がん剤等購入費
 控訴人らは,本件手術後の本件犬の治療のために,抗がん剤等(ペット用アガリクス茸,ガーゼなど)を購入し,その購入代金として12万5905円を要した。
ウ 慰謝料
 控訴人ら夫婦にとっては,幼いときから家族同様に暮らしてきた本件犬を失ったことにより,子供を失った親に劣らぬ精神的苦痛を受けたものであるから,これを慰謝するための金額は控訴人1人当たり150万円を下回らない。
エ 弁護士費用
 控訴人らは,本件訴訟の提起を弁護士に委任し,その費用として20万円を支払った。
オ 結論
 控訴人らは,被控訴人らに対し,それぞれ,上記アないしエの合計351万0905円の半額である175万5452円(円未満切捨て)の連帯支払を求める。
(被控訴人らの主張)
 いずれも争う。なお,控訴人らの主張アの治療費には本件手術に関する治療費以外のものが含まれている。

第3 当裁判所の判断
1 認定事実
 前記前提事実及び証拠(乙1ないし5,控訴人ら,原審及び当審における被控訴人a,後記各証拠)によれば,本件犬の診療経過について,次の事実が認められ,これに反する控訴人らの供述及び陳述書(甲2,29)は,冒頭掲記の証拠に照らし,信用できない。

(1) 被控訴人aは,平成11年3月ころ,控訴人らが本件犬を連れて本件病院に来院した際,初めて本件犬を診療し,その後も,控訴人らが本件犬を連れて来院するたびに診療しており,本件手術前にも,薬物中毒の治療のほか,腫瘤の手術を何回か施行したことがあった。

(2) 被控訴人aは,平成13年8月25日,控訴人Aが本件犬を連れて本件病院を来院した際,本件犬の左前腕部(左前足)に本件腫瘤があるのを認め,触診と針生検を実施したところ,膿等の液体が出てくることがなかったことから,化膿巣ではないと診断した。しかし,被控訴人aは,針生検ではほとんど細胞が取れず,腫瘤の悪性,良性の別は判断できないものであり,針パンチ生検では,全身麻酔をかける必要があり,そうであれば,本件腫瘤を全部摘出した方がよいと考えていたため,これを実施しなかった。また,被控訴人aは,悪性,良性のいずれであっても,その治療方法としては手術により腫瘤を摘出するしかないと考えていたため,控訴人Aに対し,その旨説明した上,①直ちに手術を希望するのであれば手術する,②直ちに手術を希望しないのであれば経過観察するほかないが,本件腫瘤が肥大化するのであれば,手術をした方がよい旨を伝えた。
 これに対し,控訴人らは,本件犬につき以前に行った腫瘤の手術の予後が思わしくなく,本件犬が既に相当の老犬であったことから,よほどのことがない限り手術は受けさせたくないと考え,この時は,被控訴人aの勧める手術を希望しなかった。

(3) もっとも,本件犬は関節症により後ろ足が悪かったこと等から,控訴人らは,その後も,本件犬を連れて何回か本件病院に来院しており,被控訴人aは,平成14年5月29日(以下,平成14年については,年の記載を省略する。),控訴人らが本件犬の後ろ足の関節症治療のため来院した際,控訴人らから,だんだんと大きくなっていた本件腫瘤が何であるかの質問を受けたことがあったが,この時も,従前同様に,本件腫瘤を摘出した上で病理組織検査をしなければわからない旨説明しただけであった。

(4) 被控訴人aは,6月初めころ,控訴人Bに対し,本件腫瘤が大きくなってきたことからその摘出手術を勧めたが,その際,本件腫瘤が悪性のものであれば摘出した方がよく,良性のものであったとしても,だんだんと大きくなってきているので,後ろ足の悪い本件犬の歩行に支障をきたす前に摘出した方がよい旨説明した。被控訴人aは,控訴人Bの依頼により,控訴人Aに対しても,再度,同様の説明をして本件腫瘤の摘出手術を勧めたところ,控訴人らは,本件腫瘤の摘出手術に同意し,他2か所にあった本件腫瘤とは別の腫瘤の摘出手術についても合わせて同意した。

(5) 被控訴人aは,6月14日,控訴人らから同意の得られた本件腫瘤を含む上記3か所の摘出手術を行った。被控訴人aは,本件腫瘤の摘出に際し,その部位に照らし,これを根こそぎ取ることが不可能であったため,他の機能を損なわない範囲で最大限の切除を行った。被控訴人aは,もともと本件腫瘤が悪性のものか良性のものかにかかわらず,同一範囲について切除するとの治療方針を有しており,実際に行った切除範囲も同治療方針に沿ったものであった。

(6) 被控訴人aは,6月17日,本件犬の術部が腫れたため,抗生剤,消炎剤等で治療したところ,当該術部の腫れは引いたが,今度は,別の部位が腫れていたため,これを排膿して治療した。被控訴人aは,同月21日,同月22日,同月25日にも,本件犬の術部とは別の部位が腫れているため,これに対する治療をした。

(7) 被控訴人aは,6月24日,マルピー・ライフテック株式会社臨床検査センターに対し,摘出に係る3か所の腫瘤を送付して病理組織検査を依頼したところ,同月27日,同センターによる病理組織診断は次のとおりであった(乙1)。
ア 本件腫瘤は,起原不明の肉腫である。不整形から類円形の異型細胞が多数増殖しており,細胞間に膠原線維基質が豊富な部分と粘液状基質が豊富な部分,基質が乏しく細胞密度が高い部分が見られた。個々の細胞はやや大型で大小不同が強く,核は不整形で分裂像が多く見られた。くびれや大型明瞭な核小体を持つ核や巨核の細胞も見られた。細胞室内空胞を持つ腫瘍細胞も多く見られた。紡錘形の腫瘍細胞も認められたが,特異的な配列は確認されなかった。作製した標本上では腫瘍細胞が脈管へ浸潤する像は認められなかったが,標本の断端部にも腫瘍細胞が見られた。
 本件腫瘤は,肉腫であることは確かだが,由来を特定できる明らかな所見は得られなかった。可能性としては,悪性神経鞘腫,脂肪肉腫などが考えられたが,他の腫瘍の可能性も否定できない。脈行性の遠隔転移よりは局所の破壊浸潤性増殖に対する注意が必要である。再発した場合には早期に広範囲な再切除を行うことが重要である。

イ 他の2か所にあった本件腫瘤とは別の腫瘤は,脂肪腫と乳腺癌であり,前者は,成熟脂肪組織で構成されており,悪性所見を示す成分の増殖や浸潤は見られない良性腫瘍であり,外科的切除により良好な経過を示すものであったが,後者は,乳腺上皮細胞が豊富な硝子間質を伴って増殖しており,腫瘍細胞は立方から不整形で核異型がやや強く,異型腺管の形成も見られ,硝子間質には軟骨化生が起きており,作製した標本上では,腫瘍細胞が脈管へ浸潤する像は認められなかったが,腫瘤部のみの送付のため,腫瘍と周囲組織との関連が不明であり,周囲組織への浸潤性が乏しければ,完全切除により良好な経過を示す可能性もあるが,定期的観察には十分な注意が必要である。

(8) 被控訴人aは,6月28日,控訴人らに対し,上記病理組織検査の結果を伝えた上,①本件腫瘤が悪性の腫瘍であるため,再発の可能性が高く,再発した場合は断脚するしかないが,本件犬には後ろ足に関節症があるため,断脚も難しいかもしれない旨説明し,また,②他の治療方法として,抗がん剤投与や放射線治療はあるが,前者はまず効果がなく,後者も,三重県方面にそのような専門の施設があるが,やはり効果がないと思う旨説明した。他方,被控訴人aは,控訴人らに対し,他に治療方法がないことから,気休めかもしれないと告げた上,アガリクス茸やサメ軟骨等の民間療法がある旨説明した。

(9) 被控訴人aは,本件犬の術部の治療のほか,その後ろ足の関節症の治療も継続して行っていたところ,7月9日以降,本件犬の術部が腫脹して腫瘤が再発し,壊死が始まりつつあったことから,その治療方法としては再手術又は断脚しかないと考え,その旨控訴人らに説明した。ところが,控訴人らは,再手術,断脚のいずれにも同意することはなく,被控訴人aに対し,術部に対する独自の処置を行っても大丈夫かと質問し,被控訴人aから,人間に使っても大丈夫なものなら多分大丈夫だと思うが,自己責任でやるようにとの回答があったこともあって,以後,本件犬の術部の処置は,控訴人らが独自に行うようになり,被控訴人aが術部に対する治療を行うことはなかった。

(10) その後の本件犬の症状は次のとおりであった。すなわち,7月25日,腫瘍が大きくなり,後肢麻痺により起立不能となり,同月26日,排尿できず,食欲もあまりない状態となった。そこで,控訴人Bは,本件犬を連れて本件病院に受診した際,術部からの出血により腫瘍が小さくなったような気がしたことから,このまま悪い血が出て腫れが引いてくれないかと思い,絞り出してもよいものかを被控訴人bに尋ねたところ,これに協力しようとした被控訴人bは,被控訴人aから,きりがないという趣旨で止めろと言われたものの,それ以上の反対がなかったこともあって,本件犬の術部を絞り出した(甲29)。

(11) 被控訴人aは,7月27日,同月28日昼ころ及び同日夜間の3回,控訴人らの依頼によりそれぞれ往診した。被控訴人aの診断によれば,本件犬は肺炎を併発した可能性があり,死期も迫っているため,症状緩和のための対症療法として水分補給,抗生物質及び気管支拡張剤の注射等の治療を行うことしかできず,既に手の施しようのない状態であった。本件犬は,7月28日夜間,死亡した。

2 争点(1)(被控訴人らの治療義務違反の有無)について
(1) 平成7年6月20日発行「小動物の臨床腫瘍学」(甲26)によれば,ペット治療における医学的知見として,次の事実が認められる。

ア がんの治療の第1のステップは,的確な生検材料の採取と解釈である。生検は,診断だけではなく,腫瘍の生物学的行動を予測する助けにもなり,有効な治療のタイプと範囲を決定する助けになる。不適切な生検又は生検の省略は,治療に重大な影響を与える。ほとんどすべての腫瘤は,除去の前と後に病理組織学的に評価すべきである。腫瘤が外科的切除を必要とするなら,組織の分析が必要である。

イ 生検の手技と使われる器具はさまざまであるが,共通する目的は正確な診断のために適切な腫瘍組織を得ることである。どの方法を使うかはその症例をどうするか,腫瘤の位置,利用できる器具,動物の一般状態及び獣医師の好みと経験によって決められる。このうち針パンチ生検は,さまざまなタイプの針で芯をくり抜く器具を用いて組織を採取するものである。試料の大きさは小さいが,病理の専門家は組織と腫瘍細胞の構造的関係を見ることができる。この方法で外から到達可能なほとんどの腫瘍の試料が得られる。針パンチ生検がもっとも普通に使われるのは表在性の触知可能な腫瘤に対してである。高度に炎症性かつ壊死性のがん(特に口腔内の)には切開生検が適しているが,それらを除けば多くの生検は入院を必要とせず,局所麻酔とまれに鎮痛剤のみを使って行える。この生検は,迅速,安全,容易かつ安価であり,多くは入院させないで行うことができる。結果は,細胞診断より正確であるが,切開あるいは切除生検には劣る。

ウ 治療のタイプ(手術,放射線,化学療法あるいはその他のもの)又は治療の範囲(保存的か積極的除去か)は腫瘍のタイプを知ることによって変わる。再構築が難しい部位の外科手術(たとえば,四肢端,尾,頭及び頸部)であるか,あるいは提案された方法が明らかに後遺症を残す場合(たとえば,下顎切除,断肢)には,生検が特に重要になる。ほとんどすべての外部からアプローチできる腫瘤は,良性皮膚腫瘍を除いて,手術前に組織生検を行うべきである。他方,腫瘍のタイプを知っても治療が変わらない場合(孤立性肺腫瘤に対する肺葉切除あるいは脾の腫瘤に対する脾切除)又は生検が治療と同じくらい難しい,あるいは危険な場合(脳生検)には,生検は行わず,外科的に切除された材料から生検情報を得るべきである。

(2) 上記1認定の事実及び上記(1)認定の医学的知見によれば,本件腫瘤のあった部位は左前腕部(左前足)であり,その生検材料の採取が困難な状況にあったとも,危険を伴うものであったともいえず,本件腫瘤が悪性のものであり再発すれば断脚(断肢)するしかなく,既に後ろ足に関節症の症状のあった本件犬にとって重大な障害を残す状況にあったのであるから,被控訴人aは,遅くとも6月14日の本件手術施行前に,本件腫瘤につき悪性,良性の別の診断に必要な生検(針パンチ生検を含む。)を行うべき義務があったというべきである。ところが,被控訴人aは,これを怠り,針生検では,腫瘤の悪性,良性の別は診断できないと思いながら,触診及び針生検を実施したにとどまり,腫瘤の悪性,良性の別を診断できる針パンチ生検等の他の生検を行わなかったため,本件腫瘤の悪性,良性の別を診断しないまま本件手術を施行するに至ったのであるから,この点において,被控訴人aにはペットの治療契約上なすべき生検をなさずに本件手術をしたという治療義務違反があったというべきである(なお,控訴人らは,検査時期につき平成12年11月又は遅くとも平成13年8月までと主張するかのようであるが,上記(1)の医学的知見によれば,ペットに対する重大な侵襲を伴う手術前に生検を要求するにとどまるほか,経過観察する時間的余裕の有無にかかわらず,また,手術の実施の有無とは無関係に,いかなる段階にあっても生検の実施が要求されるとまでは認められない。控訴人らも,上記時点では,本件犬が既に相当の老齢であり,本件手術前にも何回か手術を繰り返し受けていたため,本件犬について更なる負担を伴う腫瘤の外科的切除を積極的に希望していたわけではなく,むしろできるなら避けたいとの意向を有し,これを被控訴人aに伝えていたこと(甲29)も併せ考慮すれば,被控訴人aが針パンチ生検等を行うべき時期は上記説示の時期で足りるものというべきである。)。
 被控訴人らは,本件腫瘤が悪性のものか良性のものかは治療内容に影響しないかのように主張するが,上記(1)認定の医学的知見によれば,腫瘍のタイプにより治療内容が変わることが一般的に予定されており,本件犬の手術部位等に照らすと,腫瘍のタイプを知っても治療が変わらない例外的な場合にも該当しないことは明らかである上,悪性の腫瘍の場合であっても,手術以外に保存的治療法を含む他の治療法もあったのであるから,上記主張は採用できない。

(3) 控訴人らは,被控訴人らには本件腫瘤を取り残した点でも治療義務違反がある旨主張し,確かに,特定のがん(たとえば,軟組織肉腫,口腔線維肉腫あるいは肥満細胞腫瘍)は局所再発性が高いので,良性の腫瘍の場合より広く切除しなければならないことは認められるが(甲26),被控訴人aは,本件腫瘤のあった部位が左前腕部(左前足)であり,断脚(断肢)せずに,その機能を保持しようとする範囲では最大限に切除した旨供述し,被控訴人aの治療方針が悪性であれ良性であれ切除の範囲は異ならないものであったことに照らすと,被控訴人aは,断脚せずに腫瘤を摘出するという手術条件下において,上記1で認定したとおり,最大限の切除を行ったと認めるのが相当であるから,被控訴人aに本件腫瘤の切除に関する治療義務違反があったと認めるに足りず,他にこれを認めるに足りる証拠はないから,上記主張は採用できない。

(4) 控訴人らは,被控訴人らには,本件手術後である6月21日以降,血液検査を行って適切な治療方針を選択すべき義務違反がある旨主張するが,術部からの出血等があれば必ず血液検査を行わなければならないとの医学的知見を認めるに足りる証拠はなく,また,上記1認定の事実によれば,被控訴人aは抗生剤,消炎剤等の投与を行うなど,本件手術後の本件犬の術部に対する一応の治療を実施しており,何ら処置を講じなかったわけではない。もっとも,被控訴人aが,7月9日以降,本件犬の術部に対する処置を講じなかったことはあるが,上記1認定の事実によれば,本件犬につき壊死が始まり断脚するしか治療方法がないとの被控訴人aの治療方針(上記時点に限っての治療方針として不適切であることを認めるに足りる証拠はない。)を控訴人らが受け入れられず,独自の処置を行うことを自ら選択したことによるのであるから,これをもって被控訴人aの治療義務違反があったとはいえない。
 控訴人らは,被控訴人らが本件犬の傷口を絞り出させたとも主張するが,上記1認定事実によれば,壊死が始まって約2週間が経過した7月25日のことであり,医学的には断脚以外の治療方法があったとは考えられず,また,もともとこれは控訴人Bの発案によるところ,被控訴人aは被控訴人bがこれに協力しようとしたのを強く反対しなかったにすぎないのであって,医学的に無意味な行動であっても,本件犬の飼い主である控訴人Bの思うとおりにさせてやろうとしたとも考えられるのであるから,これをもって被控訴人aの治療義務違反があったとはいえない。控訴人らの上記主張も採用できない。

(5) 控訴人らは,被控訴人aが,本件手術後の本件犬の呼吸異常が肺炎,肺気腫,肺水腫のいずれによるものかの診断に必要なレントゲン検査を行うべき義務違反がある旨主張する。確かに,7月27日には本件犬の呼吸異常があり,これを往診した被控訴人aも肺炎併発の可能性を認識したのであるが,同時点では,本件犬は死期の迫っている状態にあったため,被控訴人aは症状緩和のための対症療法を行ったものと認められるから(上記1(11)),同時期にレントゲン検査を行って上記呼吸異常の原因を診断し,その上で治療に当たることで,本件犬の延命にどの程度効果があったかは証拠上不明といわざるを得ないから,被控訴人aがレントゲン検査を行わなかったからといって,治療義務違反があるとまではいえない。その他,控訴人らは,肺免疫力の低下につながるステロイド系の薬剤を使用したり強い痛み止めを注射した点で被控訴人aには治療義務違反があるとも主張するが,前者は炎症に対する対症療法である消炎剤として(甲13),後者は絶命寸前の本件犬を眼前にしながら少しでも生き長らえさせたいとの控訴人らの希望(控訴人B)に沿って鎮痛剤,強心剤等として(乙4)投与されたにすぎないのであるから,これをもって被控訴人aに治療義務違反があるとはいえない。

(6) 上記(1)ないし(5)に説示したところによれば,被控訴人aには,本件手術に際し,その実施前において,本件腫瘤の悪性,良性の別の診断に必要な生検を行うべき治療契約上の治療義務(以下「本件生検義務」という。)があったのに,これを怠った義務違反行為(過失)があったが,控訴人ら主張のその余の治療義務違反はこれを認めることができない。
 そして,本件生検は,それにより本件腫瘤の悪性,良性の別が診断され,それに従って以後の本件犬の治療方法について飼い主である控訴人らに対する説明がなされ,その同意の下に治療方針が決定されるための前提となる検査であるから,本件犬に対する本件手術の実施の要否等に関する説明義務に関連するのであるが,同説明義務と本件手術との関係及び本件手術と本件犬の死亡との関係に関しては後記3で判断することとし,この点を除くと,本件生検をしなかったことそのことにより,本件犬が死亡すべき時期でない時期に死亡したとの事実を認めるに足りる証拠はない。すなわち,上記1で認定した本件犬に対する治療経過及び上記(1)ないし(5)の説示によれば,本件腫瘤は悪性のものであり,その除去を目的とする本件手術は積極的な治療法として本件犬についても適応があったことが認められ
(なお,控訴人らは,本件腫瘤が肥満細胞腫というメスを入れるだけで増殖スピードを早めてしまう腫瘍であった可能性がある旨主張するが,本件手術により摘出した本件腫瘤部分に関する病理組織検査(乙1)でも,本件腫瘤が肥満細胞腫である事実は確定されていないし,他に同事実を認めるに足りる証拠はないから,本件腫瘤について本件手術の適応がなかったということはできない。),また,被控訴人aが実施した本件手術について腫瘍部分の取り残し等の治療義務違反行為を認めることはできない。そして,前記前提事実並びに証拠(甲20)及び弁論の全趣旨によれば,本件犬は,生後13年余りの老齢犬であること,本件犬が属するゴールデンレトリーバーについては,10歳までに死亡するものが多いこと,本件犬には,本件手術当時,本件腫瘤のほか,後足の関節症等の疾病もあったことが認められるから,本件手術当時,本件犬についてそれほど長期の余命はそもそも期待できないものと推認される。以上の諸事実によれば,本件手術の実施に際し本件生検が行われなかったことにより,本件犬の死期が早まったものと断定することはできないというべきである。

  (7) 控訴人らは,被控訴人bについても,被控訴人aと同じ治療義務違反がある旨主張する。
 しかし,前記前提事実及び上記1の認定事実によれば,本件犬の治療契約は,その飼い主である控訴人らと獣医師である被控訴人aとの間で締結されたのであって,被控訴人bは,獣医師の資格を有せず,被控訴人aが経営する動物病院において被控訴人aの行う治療行為の補助をしていた者にすぎないから,被控訴人bは,同治療契約の当事者ではなく,したがって,被控訴人aと共にであっても,同治療契約に基づく債務としての治療義務や説明義務を担うものということはできない。そして,被控訴人bが,同治療契約に基づく本件犬の治療の過程において,被控訴人aの指示に基づきその指示のとおりの治療補助行為を本件犬に対して行い,また,被控訴人aの了解の下に本件犬の治療に関する説明を控訴人らに行ったとしても,当該行為による債務不履行又は不法行為としての責めは被控訴人aが負うべきものであり,被控訴人bは原則として負わないというべきであって,このことは,被控訴人aの上記指示又は了解が被控訴人bの発案ないしは提案を被控訴人aが承諾するという経過をとって被控訴人bに対してなされたものであったとしても,同一であるというべきである。もっとも,被控訴人bが,被控訴人aの上記指示を実行する際,故意又は過失により本件犬の身体に対して上記指示以外の侵襲を与えたという場合や被控訴人aの指示のない行為をして本件犬の身体に対して侵襲を与えたという場合,また,被控訴人aの了解を得ないで,本件犬の治療に関する説明を控訴人らに行い,そのことが本件犬の治療に関する控訴人らの対応を誤らせる原因となったという場合には,被控訴人bが,被控訴人aと別個に又は被控訴人aと共に,不法行為法上の責めを負うことになることはいうまでもない。
 上記1で認定した本件犬の治療経過並びに原審及び当審における被控訴人aの供述によれば,被控訴人bは,同治療契約に基づく本件犬の治療の過程において,被控訴人aの指示に基づきその指示のとおりの行為を本件犬に対してしたことが認められるが,被控訴人aの上記指示を実行する際,本件犬の身体に対して上記指示以外の侵襲を与えたとの事実も,被控訴人aの指示のない行為をして本件犬の身体に対して侵襲を与えたとの事実も認めることはできない。したがって,被控訴人bについて,控訴人ら主張の治療義務違反を認めることはできず,その旨をいう控訴人らの上記主張は採用できない。

3 争点(2)(被控訴人らの説明義務違反の有無)について
(1) ペットは,財産権の客体というにとどまらず,飼い主の愛玩の対象となるものであるから,そのようなペットの治療契約を獣医師との間で締結する飼い主は,当該ペットにいかなる治療を受けさせるかにつき自己決定権を有するというべきであり,これを獣医師からみれば,飼い主がいかなる治療を選択するかにつき必要な情報を提供すべき義務があるというべきである。そして,説明義務として要求される説明の範囲は,飼い主がペットに当該治療方法を受けさせるか否かにつき熟慮し,決断することを援助するに足りるものでなければならず,具体的には,当該疾患の診断(病名,病状),実施予定の治療方法の内容,その治療に伴う危険性,他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失,予後などに及ぶものというべきである。

(2) これを本件についてみると,上記1認定事実によれば,被控訴人aには,争点(1)で説示したとおり,本件腫瘤の悪性,良性の別を診断するための生検を行わなかった点で既に本件生検義務違反を内容とする治療義務違反が認められるものであるが,被控訴人aは,そのこともあって,本件手術の実施に際し,控訴人らに対し,本件腫瘤が悪性,良性のいずれのものであっても摘出するしかないこと,本件腫瘤が大きくなっているため,もともと後ろ足の悪かった本件犬の歩行に支障を来すおそれがあることを説明するにとどまり,本件手術に伴う危険性として,本件腫瘤が悪性である場合には,術後再発したときは断脚するしかないことについては説明しなかったのであるから(被控訴人aがこれを説明したのは本件手術施行後の病理組織検査結果が判明した後であった。),この点につき被控訴人aにはペット治療契約上の説明義務違反があるというべきである。
 そして,上記1の本件犬の治療経過に関する事実及び証拠(甲2,20,29,甲31の1ないし9,控訴人ら)によれば,本件犬が,平成14年6月当時,既に老齢であったことや本件手術前の腫瘤の手術結果が思わしくなかったことなどから,控訴人らは,本件犬についてできるだけ余生を平穏に過ごさせてやろうと考えていたこと,そのため,控訴人らは,被控訴人aから,本件腫瘤が悪性のものであり,本件手術にもかかわらず完治せず再発した場合には,断脚のほかに治療法がないことの説明を受けていれば,本件犬にとって負担となる本件手術に同意することはなく,経過を観察しながらの保存的な治療を選択することになったものと認められ,また,本件犬が本件手術を受けることなく,上記のような保存的な治療をした場合には,上記2(6)のとおり本件犬についてそれほど長期の余命は期待できないものとしても,本件手術後1か月半程度で死亡することはなかったものと推認することができる。


(3) 控訴人らは,本件手術後に本件腫瘤が悪性であることが判明した際,被控訴人らがより高度な治療方法又は安楽死についても説明すべき義務があるのにこれを怠った旨主張する。
 しかし,上記1認定事実によれば,被控訴人aは,再発の場合には断脚することのほか,治療効果に疑問を呈しつつも,抗がん剤の投与や放射線治療の他に選択可能な治療方法につき一応の説明を尽くしているのであるから(甲24によれば,被控訴人aの説明どおり,日本で放射線治療が受けられる病院が三重県にあったことが認められる。),この点につき被控訴人aに説明義務違反があるとはいえない。また,安楽死の点については,安楽死(控訴人らの主張は,延命措置の中止という消極的安楽死ではなく,生命の短縮を伴う積極的安楽死をいうものと解される。)は,ペットの持続する苦痛を除去するものとはいえ,一般に治療行為と評価することはできないものであるから,飼い主が獣医師に対しこれを積極的に希望することを明確に表明した等の特段の事情がない限り,獣医師が安楽死につき説明すべき義務を負うものではないというべきであるから,控訴人らの上記主張は採用できない。

(4) 控訴人らは,被控訴人aが本件手術後のその時々の本件犬の症状,その原因,適切な治療方法等を説明すべき義務があるのにこれを怠った旨主張する。 
 しかし,上記1認定事実によれば,被控訴人aは,本件腫瘤が悪性のものであることが判明した後は,その旨及びこれに対する効果的な治療方法として再手術か断脚しかない旨説明し,実際に再発した際もこれを説明していたものである。そして,本件犬の死期が迫った時点では,その症状,その原因を診断し,これを控訴人らに説明したとしても,控訴人らが選択し得る適切な治療方法はもはや存しなかったのであるから,控訴人らの自己決定のために説明すべきものは何もなかったといわざるを得ないから,上記主張は採用できない。

(5) 控訴人らは,被控訴人bについても被控訴人aと同じ説明義務違反がある旨主張する。
 しかし,被控訴人bが,本件犬の治療契約についての当事者でないため,控訴人ら主張の説明義務を当然に負うものでないことは,上記2(7)で説示したところから明らかである。そして,上記1で認定した本件犬の治療経過並びに原審及び当審における被控訴人aの供述によれば,被控訴人bは,同治療契約に基づく本件犬の治療の過程において,被控訴人aの了解を得ないで,本件犬の治療に関する控訴人らの対応を誤らせる原因となるような本件犬の治療に関する説明を控訴人らに行ったとの事実を認めることはできない。
 したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。

4 争点(3)(被控訴人bの主導的役割を根拠とする損害賠償責任の有無)について
 控訴人らは,被控訴人bが,本件病院において,被控訴人aと共同して,ペットの治療及び医療上の説明をするなど,主導的な役割を担ってきたのであるから,被控訴人aと共同して損害賠償責任を負う旨主張する。 
 しかし,上記1の事実並びに上記2(7)及び3(5)で説示したとおり,被控訴人bは,獣医師の資格を有するものではなく,せいぜい被控訴人aの妻として被控訴人aの履行補助者的な地位にあったにとどまり,本件犬の治療に関する被控訴人aの指示あるいは了解に基づく行為(治療補助行為や説明補助行為)をしたものであって,被控訴人bが同治療において主導的な役割を担っていたものということはできないから,控訴人らの上記主張は,その前提を欠き採用できない。
 なお,上記1の認定事実によれば,被控訴人bが本件犬の傷口を絞り出す行為を行ったことはあるものの(上記1(10)の事実),術部が壊死に至り断脚以外に有効な医学的措置が講じられない状況において,これを放置しておけないとする控訴人Bの希望に沿った対応をしたにすぎず,また,そのことにより,本件犬の死期が早まったことを認めるべき証拠はないから,これをもって被控訴人bが損害賠償責任を負う根拠となるものではない。

5 争点(4)(控訴人らの損害)について
(1) 治療費について
 被控訴人aは,争点(1)及び(2)につき説示した限度で治療義務違反及び説明義務違反があったのであるから,これと相当因果関係のある控訴人らの損害を賠償すべき義務を負うところ,上記2(2)及び3(2)のとおり,控訴人らは,被控訴人aのペット治療契約上の上記義務違反がなければ,本件犬に本件手術を受けさせることはなかったのであり,したがって,本件手術費,術後の当該術部に対する治療費を負担することもなかったのであるから,これらはいずれも相当因果関係のある損害というべきである。
 しかし,控訴人ら主張の治療費(合計18万5000円)に対応する治療期間(6月14日から7月24日まで)においては,被控訴人aは,本件手術前から罹患していた後ろ足の関節症の治療のほか,本件手術における術部とは無関係な部位の治療を並行して実施していたものであり,また,本件手術に際しても,本件腫瘤以外の腫瘤の摘出を2か所行ったものであるところ,控訴人らの損害額の算定根拠とするカルテ(乙2)の記載を見ても,これら他の治療費と本件手術を原因とする治療費とを判然と区別できず,他に被控訴人aからの領収証の発行,ペット治療における診療報酬の一般的な基準の有無及び内容を認めるに足りない本件においては,民事訴訟法248条により,この点に関する控訴人らの損害額は7万円とするのが相当である。

(2) 抗がん剤等購入費について
 上記1認定事実によれば,被控訴人aは,控訴人らに対し,抗がん剤の投与等はほとんど効果がなく,民間療法も気休めにすぎない旨説明していたにもかかわらず,控訴人らは,敢えて本件犬のために抗がん剤等を購入したものであるから,その購入費は控訴人ら独自の判断に基づく出捐であり,被控訴人aの治療義務違反及び説明義務違反と相当因果関係があるとはいえず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(3) 慰謝料について
 本件犬は,13歳5か月で死んだものであり,ゴールデンレトリーバーの寿命は概ね10歳(甲20)程度であることからすれば,相当の老犬であり,また,結果的にも悪性の腫瘍に罹患していたのであるから,血統証明書(甲1)付きのものであるとしても,本件手術当時におけるその交換価値はほぼ皆無であったと推認される。しかし,本件犬は,その誕生間もないころから約13年間の長きにわたり控訴人ら家族の一員として共に暮らし,子供のいない控訴人らにとって本件犬は正に我が子のような存在であり,そのように可愛がってきたことが認められる(甲2,甲3の1ないし8,甲25の1ないし31,甲29,甲31の1ないし9,控訴人ら本人)。したがって,控訴人らにおいて,余命少ない本件犬に,大きな苦痛を与えることなく,平穏な死を迎えさせてやりたいと考えることもごく自然な心情であって,本件犬の治療方法を選択するに当たっての控訴人らの自己決定権は十分尊重に値するものということができる上,本件手術により本件犬の死期が早まったものと認められるから,上記自己決定権を侵害され,本件犬を早い時期に失ったことにより控訴人らの被った精神的苦痛は慰謝に値するというべきである。
 以上の点のほか,本件に現れた諸般の事情を考慮し,控訴人らの被った精神的苦痛を慰謝するには控訴人1人当たり15万円(合計30万円)が相当である。

(4) 弁護士費用について
 控訴人らが本件訴訟の提起及び追行を控訴人ら訴訟代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ,本件事案の内容,審理経過,認容額等の諸般の事情を考慮すると,上記の治療義務違反及び説明義務違反と相当因果関係のある控訴人らの弁護士費用は5万円と認めるのが相当である。

6 結論
 以上によれば,控訴人らの被控訴人aに対する債務不履行に基づく損害賠償請求は各21万円(上記5(1),(3),(4)の合計42万円の2分の1)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年1月24日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し(不法行為に基づく損害賠償請求についても,上記認容額を上回るものではない。),その余は棄却すべきであり,控訴人らの被控訴人bに対する請求は棄却すべきである。
 よって,原判決中,被控訴人aに対する請求に関する部分を上記の趣旨に変更し,被控訴人bに対する控訴(当審における請求拡張部分を含む。)は理由がないからこれを棄却し,当審認容部分につき民事訴訟法310条により仮執行宣言を付すこととして,主文のとおり判決する。

名古屋高等裁判所金沢支部第1部
裁判長裁判官  長門栄吉
   裁判官  渡邉和義
   裁判官  田中秀幸