地方競馬の競走馬が手術を受けた際に,獣医師が縫合針等を残置するなどしたため,安楽死せざるを得なくなった競走馬の損害賠償事件につき,獣医師の過失を認め,さらに縫合糸の残置と競走馬の死亡に因果関係を認めた事例(平成19年03月09日札幌高裁平成18(ネ)194)[損害賠償等合計約2051万円を認容]

札幌高等裁判所第2民事部平成18(ネ)194損害賠償請求控訴,附帯控訴
←原審:釧路地方裁判所 北見支部 平成15(ワ)२७

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主文

1 本件控訴を棄却する。
2 附帯控訴に基づき,原判決主文第1項を次のとおり変更する。
(1 ) 控訴人は,被控訴人に対し,2051万3805円及びこれに対する平成13年10月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2 ) 被控訴人のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第1,第2審を通じてこれを12分し,その11を控訴人の負担とし,その1を被控訴人の負担とする。
4 この判決は,第2項(1)及び第3項に限り,仮に執行することができる。

事実

第1当事者の求めた裁判
1 控訴の趣旨
(1 ) 原判決中,控訴人の敗訴部分を取り消す。
(2 ) 上記取消しにかかる部分の被控訴人の請求を棄却する。
(3 ) 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。

2 附帯控訴の趣旨
(1 ) 原判決を次のとおり変更する。
(2 ) 控訴人は,被控訴人に対し,2247万5151円及びこれに対する平成13年10月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
( 3) 訴訟費用は第1,2審とも控訴人の負担とする。
(4 ) 仮執行宣言

第2事案の概要
1 本件は,北海道市営競馬組合が行う地方競馬(以下「ばんえい競馬」という。) の競争馬(以下「ばん馬」という。)であるK号(以下「本件馬」という。)が,控訴人の運営する静内診療所E(以下「控訴人病院」という。)で喉頭形成術(以下「本件手術」という)を受けた際,控訴人病院の獣医師が本件馬に針等を残置するなどしたため,本件馬を安楽死させざるを得なくなったと主張する本件馬の所有者である被控訴人が,控訴人に対し,債務不履行又は不法行為に基づいて,3518万0801円の損害賠償と不法行為日の後の日であるから平成13年10月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

原審は,被控訴人の請求のうち,1164万5156円とその遅延損害金の限度で認容したので,控訴人が控訴の趣旨記載の裁判を求めて控訴し,被控訴人が,請求を2247万5151円に減縮した上で,附帯控訴の趣旨記載の裁判を求めて附帯控訴した。

2 前提事実

前提事実は,原判決書「事実及び理由」欄の「第2事案の概要」の「1
前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)」に記載のとおりであるから,これを引用する。

3 争点

( 1) A獣医師に本件手術における手技その他の過失があるか。
( 2) A獣医師の過失と本件馬の死亡との間に因果関係があるか。
( 3) 損害及びその額

4 当事者の主張
(1 ) 争点(1 )(A獣医師に本件手術における手技その他の過失があるか)について
 原判決書「事実及び理由」欄の「第2事案の概要」の「2争点及びこれに対する当事者の主張」の「( 1)A獣医師に本件手術における手技その他の過失があるか」に記載のとおりであるから,これを引用する。

(2 ) 争点(2 )(A獣医師の過失と本件馬の死亡との間に因果関係があるか) について

(被控訴人の主張)
 本件手術の際,A獣医師が,本件馬の喉頭部腹側左甲状軟骨内に縫合針を残置し,同部位付近に不要な縫合糸を残置するなど,ずさんな手技であったため,手術室内の空気中の細菌や手術台周辺に散在する雑菌類等により,同部位付近に感染症が生じ,左側喉頭部周囲全域(左披裂軟骨,左甲状軟骨及び輪状軟骨部)に及ぶ結合組織の炎症性肥厚(増生)をもたらし,本件馬は安楽死を余儀なくされた。解剖時の写真には,残置された針の末端部分で軟骨から外にはみ出した部分と接していたと思われる組織に暗赤褐色の変色がある。このことは,本件手術において,A獣医師によって残置された針及びその接着した付近一帯に感染症を生じさせたことを裏付ける。さらに,残置された針と,摘出された糸とはつながっていた可能性もあり,その場合,A獣医師に責任があることは明らかである。

 本件手術後,本件馬は,I競馬場の診療所に搬送され,抗生物質を投
与され,北海道樺戸郡B町にあるC調教師個人の厩舎(以下「D厩舎」という)に移送され,抗生物質ペニシリンが投与され,表皮の術創にイソジンによる消毒が行われ,その後預けられたEのもとでも,抗生物質が投与され, 表皮の術創の消毒が行われていた。本件馬に対する術後管理には,何の落ち度もないから,A獣医師の過失と本件馬の安楽死との間の因果関係は,切断されない。

(控訴人の主張)
A獣医師は,本件手術において,本件馬の喉頭部腹側左甲状軟骨内に縫合
針を残置したが,その周辺組織は,解剖時においても化膿していないから,針の残置と本件馬の死亡との間に因果関係はない。
また,本件馬の感染機序は,血行感染であり,術中感染ではない。本件馬の体内にあった縫合糸の中には,A獣医師による適式な喉頭形成術に使用された縫合糸,すなわち,本件手術に必須の縫合糸が含まれている。そして,本件馬の感染源となった縫合糸は本件手術に使用された縫合糸であるのか, それ以外に残置されていた縫合糸であるのかは,証拠上明らかではない。本件馬の血行感染による感染源となった縫合糸は,本件手術において適式に使用された縫合糸であることも考えられるが,仮にそうであるとすれば,そもそも血行感染は本件手術とは無関係に生ずるものである以上,A獣医師の行為と本件馬の死亡との間には因果関係はないことになる。

(3) 争点(3 )(損害及びその額)
(被控訴人の主張)
ア積極損害
a 治療関係費用等38万8528円
b 輸送費用26万7750円

イ逸失利益
a 休業損害178万6120円
本件馬は,前回手術から3か月後にレースに復帰し,優勝している。
本件手術が失敗しなければ,本件馬は,平成13年7月からレースに復帰し,同年10月までの4か月間を毎月2回合計8回のレースに出場できたと考えるのが合理的である。本件馬の生涯における1レース当たりの獲得賞金の平均は22万3265円であり,したがって,休業損害は, 少なくとも,8回のレース分に相当する178万6120円となる。
(計算式)223,265 × 8 = 1,786,120

b 死亡逸失利益980万5753円
本件馬は,その戦績が群を抜いていたのであるから,特別の状況でも生じない限り定年である10歳まで出走させ続けたことは間違いない。ただし,定年まで出走させた場合に引退後の種牡馬としての価値は低下する。ところが,早めに引退させた場合には種牡馬としての価値は高まる。引退年齢期待値は,8.3歳とみるべきであり,本件馬を8歳で引退させたとした場合,本件馬の生涯における1レース当たりの獲得賞金の平均は22万3265円であるから,1年で20回出走し,年間経費170万円を差し引き,4年間(8歳−4歳)に対応するライプニッツ現価係数3.5460を用いて中間利息を控除すると,本件馬の死亡逸失利益は,980万5753円となる。

(計算式)(223,265 × 20 −1,700,000)× 3.5460 ≒ 9,805,753

c 種牡馬の価値822万7000円
本件馬の種牡馬としての価格は,10歳で引退するとしても1000万円を下るものではない。8歳で引退するとした場合,控え目に見積もっても1000万円を下る評価は考え難い。4年間に対応するライプニッツ現価係数0.82270を用いて中間利息を控除すると,本件馬の種牡馬としての価値は,822万7000円となる。
(計算式)
10,000,000 × 0.82270 = 8,227,000

ウ弁護士費用200万円
控訴人が被控訴人に対して賠償すべき損害は2047万5151円となること,社会的事象としては珍しい馬をめぐる医療訴訟であって,弁護士による訴訟追行が不可欠であること,被控訴人代理人は,A市又は東京から出廷するなど苦労が大きいことにかんがみれば,弁護士費用としては200万円が相当である。

エ控訴人の主張に対する反論
控訴人は,ばんえい競馬が廃止されることが事実上決定したから,ばん馬の価格は肉用馬としての価値しかないと主張するが,加害行為時に存在していない事情を損害賠償責任を議論する際に考慮することはできないというべきである。

(控訴人の主張)
ア消極損害について
本件馬の消極損害としては,本件馬が出走した場合に獲得できたであろう賞金額を前提とする逸失利益を考慮する必要はなく,動産である馬の交換価値としての種牡馬としての価値のみをもって損害とすべきであり,それに加えて,逸失利益の算定について,将来の賞金獲得可能性を加味することは過剰なフィクションを裁判に持ち込むこととなるから,賞金獲得可能性を考慮して逸失利益を算定すべきではない。
仮に,逸失利益を考慮するとしても,ばんえい競馬において10歳まで現役を継続する馬は,5歳以上の馬の中でも10%以下であり,ばんえい競馬に登録されているばん馬の中で,5歳以上の馬の平均年齢は,6.78歳であるから,本件馬が10歳まで出走し続ける蓋然性は極めて低い。
本件馬は,喘鳴症で2回の喉頭形成術を受けていることに照らし,本件馬がばんえい競馬に出走し,賞金を得ることができるのは,せいぜい6歳程度までであると考えるべきである。本件手術前と同程度の賞金を獲得できる蓋然性も低い。引退時の価格も低廉になるはずである。また,本件馬は, ばんえい競馬開催中は月15万円,それ以外の期間は月10万円の経費を要しており,逸失利益の算定に当たり,控除されるべきである。
さらに,ばんえい競馬は,既に平成10年ころから赤字が常態化しており,規模を縮小するか廃止するかを検討されていたところ,平成18年11月25日の段階で,O市及びI市の開催を模索していたが,I市が撤退することを表明したため,帯広市長は既に単独開催を行わない意向を示していたことから,その廃止が事実上決定した。ばんえい競馬が廃止となれば,ばん馬は肉用馬として転換せざるを得ないが,その価格は,ばん馬の半分程度である。また,本件馬のばん馬種牡馬としての価値は失われたというべきである。

イ過失相殺
被控訴人は,本件馬の管理をD厩舎ないしEにゆだねていたところ,D厩舎ないしEは,本件馬に対し,本件手術を行ったA獣医師の診察・加療を受けさせず,大きな病院で受診させることもなかった。獣医師による診察も数回である。このように,本件馬は,その症状に応じた治療の機会を奪われている。
本件手術においてA獣医師に過失があったとしても,本件馬が安楽死を余儀なくされたことには,被控訴人側の過失に負うところが大であり,その過失割合は,8割を下らない。損害の公平な負担の観点からは,過失相殺ないし過失相殺の類推適用をするべきである。

理由
1 認定事実
前提事実に加え,証拠(甲2,4ないし8,23の1 ないし7,24,25, 27,28,31,32ないし47,乙1の1,2,2ないし5,乙A5の1 ないし4,6の1 ないし9,9,12,13,乙C16ないし49,調査嘱託の結果,証人A,証人F,証人G,証人C及び被控訴人本人。ただし,乙A12及び証人Aの証言のうち,以下の認定事実に反する部分を除く)によれば,次の事実が認められ,この認定事実に反する証拠は採用しない。なお,事実認定に供した主な証拠は再掲する。

(1 ) 当事者
ア被控訴人は,平成11年4月10日ころ,当時2歳の牡馬であった本件馬を手数料50万円を含めて合計500万円で購入した(前提事実)。

イ控訴人は,控訴人病院を運営する農業協同組合である。A獣医師は,平成13年4月当時,控訴人の診療部長であり,控訴人病院で診察,手術等を行っていた。なお,A獣医師は,我が国で初めて,馬の喘鳴症に対して喉頭形成術をした獣医師である(前提事実)。

(2 ) 本件手術に至る経過
ア本件馬は,平成11年5月3日から平成12年1月30日までの間,24回のレースに出走して6回優勝し,同年5月29日のレースでも優勝し,同年6月11日のレースでは9位であった(前提事実)。

イ本件馬は,平成11年6月16日,畜大病院において,喘鳴症(喉頭片麻痺)と診断された。喘鳴症とは,喉鳴りとも言われ,馬の喉頭口が狭まり,深い呼吸をする際に特異な喉頭狭窄音(喘鳴音)を発する疾病である。これによって呼吸が十分できない場合には,競争能力に影響が生じる。その主な原因は,喉頭部にある披裂軟骨の麻痺である。多くの症例は,左側の披裂軟骨だけが麻痺し,喉頭片麻痺といわれる。披裂軟骨は,息を吸う場合,外転し,気道を開け,食道を閉じる機能を果たすので,左側の披裂軟骨だけが神経麻痺を起こして外転しないと,息を吸う場合,気道が狭くなり,喘鳴音が発生する。喉頭片麻痺の原因は,未解明である。喘鳴症は,それ自体として, 排膿や瘻管を形成する疾病ではない(前提事実)。
本件馬は,同日,畜大病院において,前回手術を受けた。喉頭形成術は,小角突起という筋肉に包まれている披裂軟骨と輪状軟骨の筋突起との間にプロテーゼを装着する手術であり,具体的には,披裂軟骨と輪状軟骨を直接,非吸収性の糸で結束する手術である(前提事実)。

ウ本件馬は,平成11年9月16日から平成13年2月18日までの間,14回のレースに出走し,5回優勝した(前提事実)。
本件馬は,平成13年4月ころ,喘鳴症が再発した(前提事実)。

(3 ) 本件手術
ア被控訴人と控訴人は,平成13年4月12日,本件馬に喉頭形成術を行うことを主たる内容とする本件診療契約を締結した(前提事実)。

イA獣医師は,本件馬に抗生物質(マイスリン)を投与するなど,術前措置を施した上,手術を開始した。本件手術は,平成13年4月12日午前10時48分,本件馬に鎮静剤が投与され,全身麻酔のもと,同日午前11時40分ころ,表皮の切開に始まり,同日午後1時20分ころ終了した。本件馬が麻酔から覚醒したのは,同日午後1時40分ころであった(乙2,乙A12) 。
 本件手術の具体的な内容は,次のとおりであった(乙A12)。
 (ア)本件馬に麻酔をかけた後,台車の上に本件馬の右側を下にして乗せて寝かせ,本件馬の首の左側面を剃毛し,その部分を消毒した。その後,本件馬を手術台に移し,首の下に台を置いた。

 (イ)まず,首の左側面の舌顔面静脈の上の部分を切開し,皮下組織及び唾液腺を鈍性に剥離した。止血を行いながら,皮下組織を剥離すると,輪状咽頭筋と甲状咽頭筋が接しているところに達することから,輪状咽頭筋と甲状咽頭筋の間を鈍性に剥離し,披裂軟骨の筋突起を露出した。その後,輪状軟骨をタオル鉗子でつかんで引き出し,喉頭形成術を施した。
 
 (ウ)喉頭形成術を実施する際,本件馬は,出血が多量に認められたため,止血に時間がかかるなどし,一般的な手術の所要時間よりも時間がかかった。

 (エ)喉頭形成術を実施する際に使用された針は,エチボンド(乙A6の2) であった。エチボンドは,湾曲した金属製の針の後端に非吸収性の糸(ポリエステル製)が接着されている形状をしており,軟骨に縫合糸を通した,ところで金属製の針とそれに続く縫合糸を切断して使用するものである。

 (オ)その後,輪状咽頭筋と甲状咽頭筋の筋膜をバイクリル(乙A6の6)で縫合し,皮下組織を縫合した。バイクリルは,湾曲した金属製の針の後端に吸収性の糸が接着されている形状をしており,縫合作業を終えると,金属製の針とそれに続く縫合糸を切断して使用するものである。そして,皮膚をナイロン糸(非吸収性。乙A6の9)を用いて縫合し,術創にガーゼを当てるなどして手術が終了した。

 (カ)本件で使用された縫合針及び糸は,すべて滅菌処理を施された新品が使用された。

ウ A獣医師は,本件手術終了後,被控訴人に対し,術後措置について,特段の指示を行わず,抗生物質を渡すようなこともなかった(乙A12)。
 なお,A獣医師は,本件馬の喉頭部腹側左甲状軟骨内に披裂軟骨と輪状軟骨の筋突起をプロテーゼ(人工装具)で結束する際に用いられる縫合針を残置した(前提事実)。

(4 ) 本件馬の死亡
アH獣医師は,I競馬場の「ばんえい競馬馬主協会診療所」において,平成13年4月13日午前零時41分,本件馬に対し,抗生物質を投与した。
 その後,本件馬は,D厩舎に移され,本件手術の翌日か翌々日ころ,同所で,H獣医師の診察を受けた。数日間,D厩舎の厩務員らは,本件馬に対し, H獣医師から処方された抗生物質などを投与するなどした本件馬の術創は, 腫れている状態であったが,排膿のある状況ではなかった。

イ本件馬は,平成13年4月の下旬又は同年5月の上旬ころ,北海道空知郡I町のEのもとに預けられた。Eは,本件馬の術創部分の腫れがなくならないので,G獣医師に本件馬を診察してもらった。G獣医師は,同年5月から7月ころ,本件馬の術創部に膿がたまっている状況であったことから,同部位を切開して排膿し,術創部の消毒等をすることをEに指示した。(甲27)

ウ本件馬は,平成13年8月25日ころ,C調教師がI競馬場から与えられている厩舎に移された。H獣医師は,同月25日及び27日,本件馬に対し,I競馬場の「ばんえい競馬馬主協会診療所」において,抗生物質を投与した。同月31日以降,本件馬の術創の部位には膿瘍,排膿が継続的に認められたことから,本件馬には「ばんえい競馬馬主協会診療所」において,膿瘍を排出する外科処置等が施された。

エ本件馬は,平成13年9月4日,畜大病院において,F獣医師の診察を受けた。本件馬の栄養状態は良好であったが,喉頭部の内視鏡検査(口腔から内視鏡にて喉頭部を観察する検査)を行った結果,喉頭片麻痺の症状は最重度(グレード4)であり,披裂軟骨の変形,喉頭部の腫脹が認められた。当該腫脹は,膿瘍形成が原因として疑われた。また,本件馬の本件手術による術創から排膿があった。そこで,F獣医師は,本件馬の喉の部分に形成された当該排膿部に続く瘻管(組織内に形成される管状の膿の排出路)内に鉗子を挿入して探査するなどしたところ,約20㎝の縫合糸が摘出された。この縫合糸は,本件手術において喉頭形成術のプロテーゼとして利用された非吸収性の糸(エチボンド)と同一種類のものであった。F獣医師は,瘻管内に挿入した鉗子で掴むことができた部分は,本件瘻管の中に遊離した状態(瘻管内の膿汁が排出され,空間ができた部分に存在している状態)であったことから,これを鉗子で引っ張ってはさみで切断し,摘出した。当該縫合糸が存在していた場所は,本件手術が施された部分の付近に形成された瘻管内であった(甲23の1,乙A13,調査嘱託の結果)。

【証拠判断】
A獣医師は,このとき摘出された糸は,皮下組織等を縫合した吸収性の縫合糸(バイクリル)だと思う旨証言し,H獣医師の陳述聴取書(甲24)においても,それに沿う記載がある。しかし,実際に当該糸の摘出を行ったF獣医師は,調査嘱託の回答及び証言において,一貫して,喉頭形成術のプロテーゼとして利用された非吸収性の糸(エチボンド)であったと明確に述べる。実物を見ていないA獣医師及びH獣医師の推測をもって,これを覆すことはできない。

オ本件馬は,平成13年9月5日以降,I競馬場等の「ばんえい競馬馬主協会診療所」において療養することとなったが,本件手術の術創部の膿瘍が継続する状態となった。本件馬は,同年10月4日,本件馬は,喘鳴音が重度となり,前日の朝からは,呼吸困難,呼吸時の雑音が著しくなったため,畜大病院において,F獣医師の診察を受けた。本件馬は,栄養状態は良好であったが,その呼吸において狭窄音が発する状態であり,内視鏡検査において,喉頭片麻痺が最重度(グレード4),左側の披裂軟骨が変形し,右側に変位する状態であって気道が著しく狭窄している状態であった。本件馬をX線撮影にて検査したところ,披裂軟骨の筋突起部に縫合針様の異物が認められた。また,本件馬の喉の部分(本件手術の術創部付近)には,瘻管が形成されていた。この瘻管に造影剤を注入し,X線撮影をしたところ,本件馬には,気管の背中側及び食道部に広汎な瘻管が形成されていた。そこで,F獣医師は,本件馬に全身麻酔をかけ,瘻管など化膿している組織を摘出し,併せて,瘻管内から約8㎝の縫合糸を摘出した。この縫合糸もまた,本件手術において喉頭形成術のプロテーゼとして利用された非吸収性の縫合糸(エチボンド)と同一種類のものであった。これが存在していた場所は,本件手術が施された部分の付近に形成された瘻管内であった。その後,本件馬は,麻酔から覚醒したものの, 呼吸困難が重度であったため,F獣医師は,本件馬の気管を切開し,気道管を挿入して気道を確保する措置をとった(甲23の。1,4,証人F)

カ本件馬は,平成13年10月6日,入院していた畜大病院を退院し,排膿が治るまで気道管を装着したままとし,被控訴人において経過観察することとなり,その後,C調教師がA競馬場から与えられている厩舎に移され,同月14日ころまで,同競馬場内の「ばんえい競馬馬主協会診療所」において診察・治療を受けるなどしていた。
被控訴人は,同月23日,本件馬の呼吸時に発生する狭窄音の改善が認められず,更なる外科措置を含めた予後を判定するために,本件馬を畜大病院に受診させた。本件馬に対し,内視鏡による検査が行われた結果,症状として最重度(グレード4)の喘鳴症(喉頭片麻痺)であり,左側喉頭部周囲全域(左披裂軟骨,左甲状軟骨及び輪状軟骨部)に及ぶ結合組織の肥厚(増生) が原因で,呼吸困難を解消させるための外科措置が適用できない披裂軟骨小角突起の変形による気道閉塞であると診断された。上記結合組織の肥厚(増生)は,当該部位に炎症が発生していることが原因で生じたものであった。

キ 本件馬は,呼吸困難症状が著しいため,平成1 3年10月23日,安楽死の処置がされた。本件馬は,死亡時4歳であった(前提事実)。

(5) 解剖
アF獣医師は,平成13年10月24日,帯広畜産大学で本件馬を解剖した。
本件馬には,左側喉頭部周囲全域(左披裂軟骨,左甲状軟骨及び輪状軟骨部) に結合性組織が増生しており,左披裂軟骨の右方への変位及び声門狭窄が生じ,左甲状軟骨内に48㎜の縫合針(エチボンドの針。以下「本件針」という。)が一本,その全長をすべて軟骨内に埋没した状態で突き刺さっていた。本件針は,左甲状軟骨から容易に抜去することができず,F獣医師は,左甲状軟骨を骨ノミで割り,取り出した。左甲状軟骨の本件針に接触する組織全面にわたって,組織の壊死や化膿があるわけではなく,本件針に腐食はなかった。本件針は,折れたものではなく,針全体が摘出された。解剖時,本件針に糸はついていなかった。

イこのとき,縫合糸が2㎝程度摘出された。この縫合糸もまた,本件手術において喉頭形成術のプロテーゼとして利用された非吸収性の糸(エチボンド) と同一種類のものであった。

(6 ) 感染症
ア感染症には,大きく分けて,ある部位に菌が付着してそこを感染源として症状が悪化するものと,ある部位で発生した菌が血液を介して菌が体に回り感染症が広がるものの2種類に分かれる。前者は,怪我や手術によってなることが多く,術中感染はこれに含まれる。後者は,血行感染とよばれ,敗血症などの病名が付される場合が多い(甲32)。

イ一般的に,動物を手術する際に,菌の付着可能性を零にすることはできない動物の体毛や皮膚には雑菌が付着していることはむしろ当たり前であり, 切開部周辺などを滅菌消毒をしたり,クリーンルームという特別な部屋で手術をしたりすることがあるものの,手術部位に菌が付着するのを完全に防ぐことはできない。したがって,獣医師としては,手術室を清潔に保つほか,可能な限り手術時間を短くし,縫合糸などの異物を可能な限り少なくする努力をする。

また,動物は,自ら菌を倒す免疫力があるために,免疫が有効に機能しないときに初めて感染症になる。もともと健康な動物であれば,自らの免疫力で十分に菌を倒すことができるのが一般的である。しかし,異物がある場合は,免疫力がうまく働かないことがあり,例えば,皮膚を切開し,菌が付着したとしても,免疫によって治癒するのに,そこにスポンジ等の異物があれば,いつまでもじゅくじゅくしていて完治しない。異物がある場合には,炎症が治らず,瘻管が形成されるものである。

瘻管とは,慢性の化膿性の疾患であり,化膿が生じてから瘻管が形成されるまでには,相当長い時間が必要である(甲25,32ないし34,乙A13,証人F)。

ウ血行感染は,体内のどこかにある感染部位から菌が血液循環に乗って,体中に回り,その結果,もともと菌が生じた感染部位とは別の場所で菌が繁殖し,新たな感染症を引き起こすという感染態様を示すものである。血行感染は,このように,菌が血を介して全身に回る感染態様であり,一般には,菌が免疫により死滅させられることなく,血液循環に乗り体内を自由に巡り歩く状態を敗血症という。血行感染の場合,最終的には,敗血症から多臓器不全などの重篤な症状を引き起こす可能性がある(甲32ないし34)。

(7) 費用
ア被控訴人は,平成1 3年5月28日,控訴人に対し,本件手術の費用として11万2988円を,同年10月6日,畜大病院に対し,診療料等として11万4760円を,同月15日,社団法人ばんえい競馬馬主協会に対し,診療費として合計14万2030円を,同年11月13日,遠軽地区農業共済組合に対し,馬治療代として1万8750円をそれぞれ支払った(甲4ないし6,8,乙3,被控訴人本人)。

イ被控訴人は,平成13年10月6日,畜大病院から本件馬を退院させてから旭川の厩舎に移動させ,その後,北海道常呂郡J町のKのもとに本件馬を預け,同月23日,診察のため,同人のところから畜大病院まで移動させた。被控訴人は,同年12月3日,Kに対し,これらの輸送費用として26万7750円を支払った(甲7,被控訴人本人)。

(8 ) ばんえい競馬
アばんえい競馬は,A市,I市,K市及びO市の4市共同開催をしていたところ,平成17年1月段階で,永年の累積赤字を解消するために再建計画が検討されていたが,なお売上げが減少する等赤字解消の見通しが
つかないことから,A市とK市が運営からの撤退を表明した。その後,I市も撤退を決めたことから,北海道市営競馬組合主催のばんえい競馬事業は,平成18年度をもって終了することとなった(乙C16ないし45,46の1,2,47ないし49)。

イしかし,O市は,SB関連企業の支援を受けて,平成19年度以降,単独でばんえい競馬を開催することとなった(甲41ないし47)。

2 争点( 1)について
原判決書「事実及び理由」欄の「第3当裁判所の判断の1 争点( 1)」「1 (A 獣医師に本件手術における手技その他の過失があるか)について」の( 2)に記載のとおりであるから,これを引用する。

3 争点(2 )について
(1 ) 被控訴人は,本件手術の際,A獣医師が本件馬の喉頭部腹側左甲状軟骨内に縫合針を残置したことから同部位付近に感染症が生じて,本件馬が安楽死を余儀なくされたと主張する。

 しかし,前認定のとおり,平成13年10月24日の解剖の際,本件針に接触する左甲状軟骨の組織全面には,組織の壊死や化膿があったわけではなく,本件針に腐食もなかった。また,本件針に接触したと思われる部分に暗赤褐色の変色があるようにも見える(甲3添付写真,甲23の7)が,F獣医師(乙A1の3,乙A5の1,乙A13,証人F)及びH獣医師(甲24)は,いずれも,本件針それ自体が,結合組織の肥厚(増生)をもたらす化膿性の炎症を引き起こしたとは認められないとの見解を示している。

 本件針は,左甲状軟骨内に容易に抜去することができないほど,埋没し深く突き刺さっていたのであり,体内に手術用の針が残置されていても,繁殖牝馬として生きている馬の実例があること(乙10,証人A)に照らすと,本件馬の左甲状軟骨内に埋没した本件針が異物としてその周辺組織に作用し,それが上記結合組織の肥厚(増生)をもたらすような炎症を引き起こしたものと認めることは困難である。

 そうすると,本件針の残置のみをもって,本件馬を死亡に至らしめた左側喉頭部周囲全域(左披裂軟骨,左甲状軟骨及び輪状軟骨部)に及ぶ結合組織の肥厚(増生)の原因と認めることはできない。

(2 ) 被控訴人は,本件手術の際,A獣医師が本件馬の喉頭部付近に縫合糸を残置したことから,同部位付近に感染症が生じて,本件馬が安楽死を余儀なくされたと主張するので,以下検討する。認定事実によれば,本件馬は,呼吸困難症状が著しいため,安楽死させられたものであり,呼吸困難の原因は,披裂軟骨小角突起の変形による気道閉塞によるものである。そして,披裂軟骨小角突起の変形は,本件馬の左側喉頭部周辺全域(左披裂軟骨,左甲状軟骨及び輪状軟骨部)に生じた結合組織の肥厚(増生)が原因であり,また,結合組織の肥厚(増生)は,当該部位に炎症が発生したことが原因である。

このように,本件馬の左側喉頭部周辺全域に炎症が発生しているが,これは感染症に罹患したためであると推認される。このような感染症は,前認定のとおり,術中感染と血行感染に大別できる。前者は,手術中,手術部位に菌が付着することが原因である。しかし,菌の付着があっても,動物が本来有している免疫によって感染を防ぐことができる場合もあるが,手術部位に異物が混入した場合には,その免疫力が低下し,結果的に感染症に罹患し,いつまでも異物が排除されないと,組織内に形成される管状の膿の排出路である瘻管形成の原因となる。そして,瘻管とは,前認定のとおり,慢性の化膿性の疾患であり, 化膿が生じてから瘻管が形成されるまでには,相当長い時間がかかる。

ところで,前認定によれば,F獣医師が平成13年9月4日及び同年10月4日の2回にわたって本件馬から摘出した縫合糸(エチボンド)は,本件馬の喉の部分に形成された当該排膿部に続く瘻管内にあったのであるから,これがいわゆる異物として本件馬の免疫力を低下させた原因であると推認することができる。

そうすると,本件手術が通常に比べて長時間を要したため,手術部位が雑菌にさらされる時間も長くなり,このため,手術部位に通常よりも多くの雑菌が付着し,これに加え,A獣医師が残置した本件糸が免疫力の低下をまねき,このため,炎症が発生し,かつ,瘻管が形成され,ひいては,本件馬の左側喉頭部周辺全域に結合組織の肥厚(増生)を生じ,本件馬は,呼吸困難に陥ったということができる。したがって,本件糸の残置と本件馬の死亡との間には因果関係があるというべきである。

これに対し,控訴人は,本件馬の感染機序は,血行感染であり,術中感染ではないと主張する。しかし,血行感染とは,前認定のとおり,体内の感染部位から菌が血液循環に乗って,体中を回り,その結果もともと菌が生じた感染部位とは別の場所で菌が繁殖して,新たな感染症を引き起こすものであり,したがって,血行感染の場合には,最終的には,敗血症から多臓器不全などの重篤な症状を引き起こす可能性がある。しかし,本件馬には,呼吸器以外に特に重篤な症状が出ていたことを認めるに足りる証拠はないから,本件馬の炎症は,血行感染によるものとは認められない。

(3 ) 控訴人は,A獣医師が,本件手術当時,控訴人病院の診療部長であるから,A獣医師の過失(A獣医師が,本件手術の際,本件糸を本件馬の体内に残置したこと)と相当因果関係にある損害について,不法行為(使用者責任)に基づく賠償責任を負う。

4 争点( 3)について
(1 ) 積極損害
ア治療関係費用等38万8528円
被控訴人は,前認定のとおり,本件馬の治療費等として,合計38万8528円を支出したことが認められる。

イ輸送費用26万7750円
証拠(甲7,被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,被控訴人は,平成13年10月6日,畜大病院から本件馬を退院させてから旭川の厩舎に移動させ,その後,北海道常呂郡J町のKのもとに本件馬を預け,同月23日, 診察のため,同人のところから畜大病院まで移動させ,これらの輸送費用として合計26万7750円を支出したことが認められる。

A獣医師の過失によって,本件馬の容体が悪化しなければ,こうした支出を要しなかったことが認められるから,輸送費用は,相当因果関係にある損害と言える。

(2 ) 消極損害
ア控訴人は,本件馬の消極損害は,本件馬の交換価値により算出すべきであり,将来の賞金獲得可能性を加味すべきではないと主張する。確かに,動産の価値は,その交換価値により把握すべきであることは,控訴人の主張のとおりである。そして,本件馬は,ばん馬であり,ばんえい競馬に出走し,賞金を稼いでおり,しかも,引退後は,種牡馬としていわゆる種付料を獲得できるのであるから,本来は,そのことを含めての交換価値によるべきものである。しかし,賞金獲得額や種付料を生む価値のある本件馬の現在価値の算定は,はなはだ困難であり,例えば,その期間は限定されているものの,賞金獲得額や種付料を利息と考えると,その元本である本件馬の価値は莫大なものとなる可能性があり,実務的な損害賠償額の算定にはなじまない。したがって,このような場合には,被控訴人が主張するように,ばん馬としての賞金獲得可能性と引退後の馬の交換価値に分離して計算することも妥当な考え方と言うべきである。

イ休業損害178万6120円証拠(甲17の1 ないし24,甲18の1 ないし16,証人C)及び弁論の全趣旨によれば,ばん馬の出走は月2回が標準的であり,本件手術前の本件馬も同様であったこと,ばんえい競馬は,平成17年度までは,毎年5月から翌年の2月まで10か月間開催されたこと,本件馬が得た優勝賞金と出走手当から進上金等を除いた収入額は,1レース当たり平均22万3265円であったことが認められる。
本件手術前の生涯平均の収入額を前提として,本件手術後の3か月後であ
る平成13年7月から同年10月までの間,月2回合計8レースに出走したとすれば,その間の収入額は178万6120円(1レースあたり22万3265円×8回)となる。
(計算式)223,265 × 8 = 1,786,120

ウ死亡逸失利益784万4382円
(ア)本件手術前の本件馬は,前認定のとおり,24戦して6勝,2戦して1勝,14戦して5勝という通算勝率が3割(通算40戦12勝)という極めて高い勝率のばん馬であるから,平均引退時期に馬主である被控訴人が本件馬を引退させるとは想定し難い。しかし,種牡馬として価値を維持するために平均引退時期に本件馬を引退させることも馬主の選択としてはあり得るところ(甲35ないし38)であり,損害の控え目な認定という観点からも本件馬が平均引退時期に引退したと仮定して死亡逸失利益を算定することとする。

証拠(甲39,乙C3ないし5,被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,平成17年度のばん馬は,4歳馬が99頭,5歳馬が81頭,6歳馬が78頭,7歳馬が45頭,8歳馬が38頭,9歳馬が34頭,10歳馬が23頭であること,平成18年度のばん馬は,5歳馬が73頭,6歳馬が59頭,7歳馬が64頭,8歳馬が26頭,9歳馬が34頭,10歳馬が21頭であることが認められる。1年後の馬の減少数が引退した馬の数であるといえるから,当時のばんえい競馬における4歳馬の平均引退時期は,次のとおり,8.2歳(小数点以下四捨五入)である。(計算式)

(4× 26 + 5 × 22 + 6 × 14 + 7 × 19 + 8 × 4 + 9 × 13 + 10 × 23)÷ 99 ≒ 8.18

(イ)本件馬は,死亡時4歳であったから,逸失利益の算出においては,8歳まで4年間の得べかりし利益を検討する。
 確かに,本件馬は,前認定のとおり,本件手術前には通算勝率が3割という極めて高い成績を残していたが,過去に高勝率を残した馬がその後も同率の勝率を維持できる可能性があるとまでは断定できない。また,加齢によって走力が低下することも考えられる。さらに,以上のような事情を考慮し,損害の控え目な認定という観点から,2割を減じた金額をもって損害と認定するのが相当である。
 本件馬は,前認定のとおり,本件手術前に,10か月間,各月2回出走し,1レース当たり平均22万3265円の収入額を得ていた。そして,年間の経費が170万円(15万円の10か月分及び10万円の2か月分の合計額)かかるから,これを控除すると,年間利益は276万5300円となる。4年間に対応するライプニッツ係数(年金現価表)3.5459を用いて中間利息を控除すると,8歳になるまでの逸失利益は,次のとおり,784万4382円(小数点以下四捨五入)となる。

したがって,A獣医師の過失がなかった場合,本件馬によって得られる
死亡までの逸失利益は,784万4382円である。
(計算式)
(223,265 × 20 −1,700,000)× 3.5459 ×( 1 −0.2)≒ 7,844,382

(ウ)控訴人は,ばんえい競馬は,平成18年11月25日の段階で,その廃止が事実上決定したから,将来の賞金獲得の可能性を死亡逸失利益を算定する際に考慮すべきではないと主張する。

 しかし,本件手術時に,ばんえい競馬が廃止される具体的事由が存在し, 近い将来に廃止されることが客観的に予測されていたという特段の事情がない限り,ばんえい競馬が廃止されるかもしれないという事情を本件馬の死亡逸失利益を算定する際に考慮すべきものではないと解するのが相当である。本件全証拠によっても,本件手術時である平成13年4月当時,ばんえい競馬が近い将来に廃止されるという具体的事由も客観的に予測されていたという特段の事情も認められない。控訴人の主張は採用できない。

 なお,念のため,控訴人の主張について判断するに,確かに,北海道市営競馬組合主催のばんえい競馬は,前認定のとおり,平成18年度をもって終了することとなったが,平成19年度以降,O市が,SB関連企業の支援を受けて開催することとなったので,ばんえい競馬自体は存続することになる。控訴人の主張は,いずれにしても採用できない。

エ種牡馬としての価値822万7025円
本件馬は,前認定のとおり,被控訴人が手数料を含め500万円で購入した馬であり,本件手術前の通算勝率は3割であった。また,証拠(甲14,15)によれば,本件馬を知る調教師及び騎手が手術前の交換価値を1500ないし2000万円と予想していたことが認められる。しかし,前説示のとおり,過去に高勝率を残した馬がその後も同率の勝率を維持できる可能性があるとまでは断定できず,加齢によって走力が低下することも考えられること,損害の控え目な認定という観点から,本件馬は,8歳馬として引退する際,少なくとも,1000万円の売却価値があったと認めるのが相当である。
そして,4年間のライプニッツ係数(現価表)0.82270247を用いて中間利息を控除すると,死亡当時の本件馬の価値は822万7025円(小数点以下四捨五入)となる。
(計算式)
10,000,000 × 0.82270247 ≒ 8,227,025

なお,証拠(甲12,16の1,2)によれば,喘鳴症を発症し,手術を受けたことがあるばん馬が,引退後,450万円程度で売られたことがある事実が認められるが,このばん馬の成績等が不明であり,本件馬の種牡馬としての価値を算定する際に参考にすることはできない。

控訴人は,ばんえい競馬は廃止することが事実上決定したとして,種牡馬としての価値はなく,肉用馬としての価値しかないと主張する。しかし,本件手術時に,ばんえい競馬が廃止される具体的事由が存在し,近い将来に廃止されることが客観的に予測されていたという特段の事情があるという立証のない本件では,控訴人の主張を採用することはできない。

( ) 過失相殺3
以上の合計は,1851万3805円となる。
(計算式)
388,528 + 267,750 + 1,786,120 + 7,844,382 + 8,227,025 = 18,513,805

ところで,前認定のとおり,本件馬の術後管理において,通常の水準以下であったことをうかがわせる事情は認められない。そもそも,損害賠償の額を定めるについて斟酌される「被害者側の過失」とは,被害者本人と身分上ないしは生活関係上一体をなすとみられるような関係にある者の過失をいうものと解するのが相当であるところ,本件において,仮に,本件手術後,本件馬の診療に関わった獣医師らに何らかの過誤があったとしても,これをもって,被害者側の過失に当たるとはいえない。したがって,本件において,過失相殺をすべきではない。

(4) 弁護士費用200万0000円
本件事案が馬の医療過誤訴訟であるという特殊性に加え,被控訴人代理人らの法律事務所の所在地が旭川市内及び東京都内にあるのに対し,第一審が釧路地方裁判所北見支部,控訴審が札幌高等裁判所であること,認容額その他本件に表れた一切の事情を考慮すると,被控訴人が控訴人に対して請求し得る弁護士費用としての損害は,200万円が相当である。

5 以上のとおり,被控訴人の請求は2051万3805円及びこれに対する不法行為の後である平成13年10月25日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきところ,これと結論を異にする原判決は変更する必要がある。したがって,本件控訴は理由がなく,附帯控訴は一部理由がある。
よって,本件控訴を棄却し,附帯控訴に基づいて原判決を変更することとして, 主文のとおり判決する。

札幌高等裁判所第2民事部

裁判長裁判官 末永進
裁判官 千葉和則
裁判官 杉浦徳宏