幼児が野犬による咬創を受けて死亡した事故につき、条例に基づき野犬の捕獲、抑留等の権限を有する知事に右権限を適切に行使しない作業義務違反があったとして、国賠法一条による損害賠償責任が認められた事例--千葉県野犬咬死事故損害賠償請求事件控訴審判決(東京高判昭和52・11・17)判時875・17

昭和52年11月17日東京高等裁判所 第一四民事部 ・昭和51ネ175 損害賠償請求事件


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         主    文

     原判決を取り消す。
     被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ、一〇〇万円及びこれに対する昭和四六年五月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
     控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
     訴訟費用は、第一、二審を通じて六分し、その五を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人の負担とする。


         事    実
 一、 控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ、六二〇万円及びこれに対する昭和四六年五月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
 二、 当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
 (証拠関係は省略する。)


         理    由
 一、 控訴人ら間の男子であるA(昭和四二年三月一九日生)が、昭和四六年五月一三日午後五時四〇分ころ、千葉県F市(当時、K郡a町)b地内のI神社付近農道を通行中に犬に襲われ、頸動脈に達する左頸部咬創及び前胸部から両側大腿背部にかけて無数の咬創を受け、これにより同日午後七時二五分ころ死亡したこと、控訴人らはAの父母として同人の権利義務を二分の一ずつ承継したことは、当事者間に争いがない。
 そして、原審証人Bの証言とこれにより真正に成立したことが認められる乙第一号証、原審証人C、同D、同Eの各証言及び原審における控訴人F本人尋問の結果を総合すると、Aを襲つた加害犬は、体長約一メートルの成犬三頭(一頭は白と茶のぶち、一頭は白、一頭は茶)で、いずれも首輪をつけていなかつたこと、そして、当時、事故現場付近をうろついている犬として住民らが見かけたことのある犬でもなく、又、事故後に行つた調査においても、付近の者の飼い犬のうちには該当するものが発見されるに至らなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
 右事実によれば、加害犬は、狂犬病予防法六条にいう「鑑札を着けず又は注射済票を着けていない犬」及び後記千葉県犬取締条例二条にいう「野犬等」のいずれにも該当する犬であつたことが明らかである。

 二、 控訴人らは、本件事故は、千葉県知事、木更津保健所長、狂犬病予防員及び指定職員らが、前記「鑑札を着けず又は注射済票を着けていない犬」ないし「野犬等」を捕獲、抑留し若しくは掃蕩すべき義務を怠り、何らの措置をも講じなかつたことにより生じたもので、被控訴人はこれら公務員の作為義務違反による不法行為責任を免れることができないと主張する。
 そこで、千葉県知事を含む右公務員らの作為義務の有無したがつて右作為義務違反による不法行為の成否について検討する。
 1 成立に争いがない乙第六号証、前掲証人Bの証言によると、千葉県における犬の取締に関する法令には、狂犬病予防法と千葉県犬取締条例(昭和四三年一〇月三一日千葉県条例第三三号)とがあり、狂犬病予防法は「狂犬病の発生を予防し、そのまん延を防止し、及びこれを撲滅することにより、公衆衛生の向上及び公共の福祉の増進を図ることを目的とする。」(同法一条)もので、地方公共団体たる被控訴人が国の機関委任を受けてその義務を行つているものであること、千葉県犬取締条例は「人の身体又は財産に対する犬の危害を防止し、もつて社会生活の安全を確保するとともに、公衆衛生の向上を図ることを目的とする。」(同条例一条)もので、それまでの千葉県飼い犬取締条例(昭和三六年千葉県条例第一二号)に代つて昭和四四年一月一日から施行されているものであること(同条例附則一項二項)が認められる。
 これらの法令が犬の捕獲、抑留ないし掃蕩について定めているところをみると、狂犬病予防法六条は「狂犬病予防員(同法三条により、知事が県職員で獣医師であるもののうちから任命する。)は、登録を受けず若しくは鑑札を着けず、又は、予防注射を受けず若しくは注射済票を着けていない犬があると認めたときは、これを抑留しなければならない。予防員は、前項の抑留を行うため、あらかじめ知事が指定した捕獲人(同法施行規則一四条により狂犬病予防技術員と称する。)を使用してその犬を捕獲することができる。」旨定め、千葉県犬取締条例八条は「知事は、あらかじめ指定した職員(指定職員という。)をして野犬等(同条例二条により「管理者のない犬及び同条例三条のけい留義務又は抑留義務に違反してけい留されず又は抑留されていない飼い犬」をいう。)を捕獲し、又は抑留させることができる。」、九条は「知事は、野犬等が人畜その他に危害を加えることを防止するため緊急の必要があり、かつ、通常の方法によつては野犬等を捕獲することが著しく困難であると認めたときは、区域及び期間を定め、薬物を使用して野犬等を掃とうすることができる。」旨定める。すなわち、狂犬病予防法は、狂犬病予防員が登録を受けず若しくは鑑札を着けず、又は、予防注射を受けず若しくは注射済票を着けていない犬があると認めたときはこれを抑留すること、したがつて抑留のためにその犬を捕獲することを義務づけているが(捕獲については、前記のとおり、狂犬病予防員に対して権限を与える規定があるのみであるが、抑留が義務づけられている関係上その手段をなす捕獲もまた義務づけられているものと解される。)千葉県犬取締条例は、指定職員による野犬等の捕獲、抑留だけでなく、緊急の必要がある場合に薬物を使用して行う掃蕩をも知事の一般的な権限として規定するにとどめる。
 このように、犬の捕獲、抑留ないし掃蕩に関する規定は、狂犬病予防法と千葉県犬取締条例とではその内容を異にするが、本件事故当時、狂犬病予防員がその現場付近に狂犬病予防法六条により捕獲、抑留すべき義務のある犬があることを確認していたことを認めるに足る証拠はないから、以下では、千葉県犬取締条例八条及び九条が知事に対して認めている野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩の権限について、右権限行使の義務すなわち作為義務があつたかどうかを検討することとする。
 2 ところで、ある事項につき行政庁が法令により一定の権限を与えられている場合に、その権限を行使するか否か、又、どのような方法でこれを行使するかは、当該行政庁の裁量に委ねられているのを原則とする。したがつて、行政庁が右権限を行使しない場合でもその不行使については行政上の責任が問題となることがあるは格別、それ以外の責任は生じないのが本則である。しかし、同じく権限の不行使といつても、それが問題となる場合に応じて不行使に対する評価の基準やその方法にも差異が生じてくるのは当然であつて、とくに行政庁の権限行使そのものの合法、違法ではなく、その不行使によつて生じた損害の賠償責任の有無が問題となつている本件では、損害賠償制度の理念に適合した独自の評価が要求されることはいうまでもない。しかるときは、本件のように、法令上は知事が捕獲、抑留ないし掃蕩の権限を有しているにすぎない場合でも、損害賠償義務の前提となる作為義務との関係では、(イ)損害という結果発生の危険があり、かつ、現実にその結果が発生したときは、(ロ)知事がその権限を行使することによつて結果の発生を防止することができ、(ハ)具体的事情のもとで右権限を行使することが可能であり、これを期待することが可能であつたという場合には、その権限を行使するか否かの裁量権は後退して、知事は結果の発生を防止するために右権限を行使すべき義務があつたものとして、これを行使しないことは作為義務違反に当ると解するのが相当である。
 このように解することは、不作為を含む行政庁の権限行使そのものの合法、違法という行政法固有の問題ではなく、損害の公平な分担を理念とする現代の損害賠償制度のもとで右責任の有無が問題となつている本件の場合にもつともよく適合するものというべきである。とくに本件事故は、被控訴人が撲滅の必要を認めて種々の対策をたてていた野犬等によつて惹起されたものてあつて、何らそのような対策がたてられておらず、又、社会的な需要も認められないその他の動物によつて惹起された場合とは異なることに留意すべきである。それゆえ、Aの死亡による損害を控訴人らのみの負担に帰せしめることは妥当を欠くのであつて、前記(イ)ないし(ハ)の要件のもとで、被控訴人による損害分担の可否を論ずることは、実質的にも理由があるものと解される。
 3 そこで、進んで前記(イ)ないし(ハ)の要件を具備しているか否かについて検討する。
 (一) まず、千葉県においては野犬等の咬傷によつて死亡等の結果が生ずる危険性は従来から存在しており、しかも、このような危険性は知事においても十分に認識していたものと認められる。すなわち、成立に争いがない甲第六号証、前掲証人Bの証言とこれによつて真正に成立したことが認められる乙第五号証、乙第七号証の一、二によると、千葉県においては近年犬による人畜の被害が多発し、生活環境上の公害として大きな社会問題ともなり、県民の日常生活を不安に陥れるといつた状況であつて、千葉県犬取締条例は、昭和三六年に制定施行されたそれまでの飼い犬取締条例では多発する犬の危害を防止することができなかつたことから、放し飼いの犬や野犬を捕獲、抑留し、又は、薬物による掃蕩ができるようにし、危害防止に万全を期そうとして昭和四三年に制定されたことが認められるが、とくに被害者が乳幼児であるようなときには犬の危害によつて死亡その他の重大な結果が生ずる場合のあることは見易いところであるから、千葉県犬取締条例そのものが、このような死亡等の事故が発生することを予測しこれを未然に防止することを目的とした制度であるということができる。死亡等の事故発生の防止が単に反射的ないし副次的な目的をもつにすぎないというものではないのである。
 そして、このような目的をもつ犬取締条例制定施行の背景となる社会的現実として、次のような野犬等の咬傷による死亡等の事故が発生していることが認められる。昭和四三年度から昭和四五年度までの犬による被害状況が届出のあつたものだけで原判決添付別表(一)のとおりであること(そのうち、人の咬傷被害を千葉県全体と本件事故発生地を管轄する木更津保健所管内とに分けてみると、昭和四三年度—八四五件:四一件、昭和四四年度—六七九件:三七件、昭和四五年度—七八五件:二九件の割合となる。)は当事者間に争いがないが、成立に争いがない乙第一四号証の二、三、前掲証人Bの証言とこれにより真正に成立したことが認められる乙第二、第三号証、第四号証の一ないし三、原審証人Mの証言によれば、本件発生前これと近接して発生した主な咬致死傷事故には、(1)昭和四五年七月二七日に千葉県T市cd番地G方屋内に侵入した野犬が、就寝中のH(生後二〇日)に咬みつきこれを持ち去り約一時間後に右Hが死体となつて発見されたもの、(2)昭和四六年四月九日に同県I郡e町f地内で帰校途中のI(当時一〇才)がJ所有の放し飼いの犬三頭に襲われ頸動脈咬傷による出血多量で死亡し、同日同所付近でK(当時七才)が同じ犬に襲われ前頭部、腰部に咬傷を受けたもの、(3)昭和四六年五月一二日に同県K市(当時、K郡g町)人見地内のH公園付近でL(当時五才)が山口鉄工所の飼い犬とみられる犬に顔面を咬まれたものなどがあつたことが認められる。本件事故は、右(3)の事故の翌日に同じ木更津保健所管内で発生したものである。
 もつとも、前掲乙第三号証、第四号証の一ないし三、第五号証、前掲証人Bの証言によると、右に見たところにもあらわれているように、これらの咬致死傷事故には飼い犬が加害犬となつたものも含まれているが、事故状況が必ずしも明らかでない(3)の事故を除きすべてが野犬等によつて惹起されたものであり、しかも、前掲証人B、同M、原審証人C、同Nの各証言によると、本件事故当時における野犬等の推定数は、千葉県全体で約四万頭、木更津保健所管内で二、〇〇〇ないし三、〇〇〇頭に達していたというのであるから、大量的にみると、本件と同じような野犬等による咬致死傷事故は必然的に発生する可能性があつたものというべきである。
 (二) ところで、これらの咬致死傷事故の防止の方法についてみると、野犬等のうち管理者のある非繋留犬については、管理者の繋留義務を強調することによつてもある程度までは事故防止の目的を達成することができるであろう。その意味で、千葉県犬取締条例三条が管理者に対し飼い犬の繋留義務を定めてその遵守を図つているのは、事故の発生を防止する一つの方法ということができる。しかし、野犬等のうち管理者のない犬(管理者があるか否か明らかでない犬を含む。)及び管理者はあつてもその管理に適正さを欠いている犬については、知事が捕獲、抑留ないし掃蕩の権限を行使する以外に事故の発生を防止する方法がなく、これがその唯一の方法であることに注意しなければならない。条例が知事に対し野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩の権限を与えていることの意義はまさにこの点にあるのであつて、条例は、これによつて犬の危害防止というその制定の目的を完からしめようとしたものにほかならないのである。それゆえ、知事は、捕獲、抑留ないし掃蕩の権限をこのような条例の目的にそうように適切に行使すべき責務があることはいうまでもなく、しかも、これを適切に行使しさえずれば、野犬等の撲滅を図ることができ、これにより咬致死傷事故の発生も容易に防止することが可能であると解されるのである。
 (三) そして、本件の場合、野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩を行うことは可能てあつて、これを妨げるべき何らかの事情があつたとはとうてい認められない。前掲乙第一号証、乙第四号証の三、前掲証人Bの証言とこれによつて真正に成立したことが認められる乙第一二号証の二、原審証人Oの証言によると、本件事故の発生後にその現場であるh地区を中心にして薬殺を含めた野犬等の捕獲、掃蕩を行い、捕獲一三頭、銃殺七頭、薬殺九頭、以上合計二九頭(そのうち加害犬と推定されるもの一頭)を収容する成果をあげ、附近の野犬等を一掃したことが認められるが、このことは、その気にさえなれば、事故の発生前においても、このような捕獲、掃蕩を行うことが可能であつたことを示すものである。しかるに、前掲証人C、同N、同O、原審証人Pの各証言によると、h地区は、田園地帯であるとはいえ、約三〇〇世帯が居住する地域で、捕獲、掃蕩を困難ならしめるような事情があつたとも認められないにもかかわらず、右地区については、事故直前ころ野犬等が横行し人身事故はなかつたものの鶏などの被害は見られる状況であつたのに、過去に何回か木更津保健所の捕獲車が通過したことがあるのみで、実際に捕獲を行つた事実はなかつたことが認められる。
 のみならず、本件事故が発生した昭和四六年ころの野犬等の捕獲、抑留の実情をみると、前掲乙第五号証、前掲証人B、同Cの各証言、前掲証人Nの証言とこれによつて真正に成立したことが認められる乙第一三号証によれば、実際に捕獲、抑留を担当する捕獲人は、千葉県全体では二二名、木更津保健所では二名がいるのみであつて、これらの捕獲人が捕獲車で巡回を行い或いは地元市町村の協力を得るなどして野犬等の捕獲、抑留に努め、一年間に県全体で四万ないし五万頭、木更津保健所管内で二、〇〇〇ないし三、〇〇〇頭にのぼる成果をあげていたものの、野犬等の繁殖や飼い犬の新たな野犬化による増加があるため、右捕獲、抑留も犬数の増加を抑えるのが精一杯であり、県全体で約四万頭、木更津保健所管内で二、〇〇〇ないし三、〇〇〇頭と推定される前記野犬等の数を積極的に減少させる効果はあがつていなかつたことが認められる。被控訴人は、犬の危害から県民の身体等を守るため、野犬を一掃するほか、正しい犬の飼い方の普及のために、所要の人員を確保し捕獲車その他の設備の整備に努めるなど種々の施策を講じてきたと主張するが、被控訴人の指摘する施策は、どちらかというと飼い主対策に重点が置かれていたことは否定しえないところであつて、(例えば、前掲青木証人の事故直前木更津保健所課長であつた同証人として捕獲人の数の多少よりも飼い主の責任が問題であると考えていた旨の証言はこのことの一端を示している。)飼い主の手を離れて野犬化した犬の対策に十分でないところがあつたことは、右にみた実情に照らして明らかである。
 このように、本件では、県がその気にさえなれば野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩を行うことができたにもかかわらず、それが十分に行われていなかつたことが認められるが、もともと、野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩は、野犬等の特性をみるまでもなく、組織的かつ計画的に行わなければならないものであるうえに、その実施の過程では他人の所有地への立入りなどの利害の交錯をも生ずることがあるから、個々の住民が行うには自ずからなる限界があり、したがつて、どうしても、捕獲、抑留ないし掃蕩の権限を有する知事に期待する以外に方法がなく、このことは、本件事故が発生した当時においても同様であつたものというべきである。とくに、前記(一)でみた咬致死傷事故の例からも明らかなように、野犬等によつて被害を受ける可能性は大人よりも乳幼児の場合が多いことを考えると、その健全な生育環境を確保する責務をもつ行政したがつてその主宰者である知事の捕獲、抑留ないし掃蕩に期待する度合は一層大きいものがあつたといわなければならない。<要旨>(四) 以上認定の事実によれば、本件事故は、野犬等の咬傷により死亡等の事故が発生する場合のあることを予測し、これを未然に防止することを目的として制定された千葉県犬取締条例のもとで、多発する咬致死傷事故の一つとして発生したもので、これらの事故の発生を防止するためにとられてきた各種の施策とくに野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩がその増加を抑えるのが精一杯で積極的にこれを減少撲滅させるだけの効果がなかつたことから、いわば必然的に発生したといつてよいものである。しかし、このような事故は、知事が条例によつて認められた野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩の権限を適切に行使し、条例の定める目的を実現するのに遺漏がないようにさえすれば容易に防止することが可能なのであつて、とくに本件の場合、事故後に行つたと同じような野犬等の捕獲、掃蕩を前もつて行つてさえいれば、事故の発生は確実に防止することができたとみられるのであり、しかも、このような捕獲、掃蕩を不可能ならしめる障害があつたとか、捕獲、掃蕩にもかかわらず本件事故が発生したであろうと認められるような事情もみいだすことはできないのである。そして、これらの捕獲、掃蕩は、その権限を有する知事に対して期待する以外にないことを考えると、知事は、結局、条例によつて認められた野犬等の捕獲、抑留ないし掃蕩の権限を適切に行使しなかつたといわざるをえないのであつて、ここに作為義務違反があつたものというべく、上記認定の事実によれば少なくとも過失は免れないと認められ、このことは当該加害犬に管理者があり、その者が加害につき責任を負うべき場合であると否とによつても差異はないと解さ れるから、いずれにせよ被控訴人は、前記野犬等によりなされた本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき義務があると解するのが相当である。
 4 次に損害額について検討する。
 (一) Aの逸失利益Aが昭和四二年三月一九日生れの男子で、本件事故当時満四才であつたことは、冒頭に述べたとおりであるところ、昭和四三年度簡易生命表によると、四才の男子の余命が六六・五五年であることは当事者間に争いがないから、Aは少なくとも一八才から六〇才までは就労可能であつて、全労働者の各年令別の平均収入に相当する収入を得ることができたものと認められる。そこで、当裁判所に職務上顕著な昭和四四年度賃金センサスに基づき、かつ、収入の二分の一の生活費を要するものとして、Aの得べかりし利益の現価をホフマン式計算法により計算すると、控訴人ら主張のとおり、六四七万二、〇八五円となることが認められる。そして、控訴人らがAの父母として同人の権利義務を二分の一ずつ承継したことは、前述のとおりであるから、控訴人らは、右損害の二分の一である三二三万六、〇四二円ずつを取得したことになる。
 (二) 控訴人らの慰籍料前掲控訴人F本人尋問の結果、原審における控訴人Q本人尋問の結果によると、控訴人らには、Aのほかに長女R(当時七才)、次女S(当時二才)の子があつたが、男の子はAのみであるため同人の将来に期待をかけていたところ、同人は野犬等により頸部、胸部、大腿部などに無数の咬創を受けるという悲惨な事故によつて死亡したため、精神的に著しい苦痛を被つたことが認められるから、その慰籍料としては控訴人らにつきそれぞれ三〇〇万円をもつて相当と認める。
 (三) 過失相殺前掲控訴人F尋問の結果によれば、Aの母であるFは、本件事故の発生前に付近をうろついている犬をみかけたことがあり、そのため、Aらに対しても咬みつかれることがないよう常々注意を与えていたこと、しかるに、たまたまFが長女Rに買物を頼んだ際にAをこれと一緒に外出させたことから本件事故が発生したもので、RはAが犬に襲われているのを目撃しながら自力では救うことができなかつたため、Aは死亡の原因となる重傷を受けるに至つたことが認められ、この認定に反する証拠はない。右認定の事実によれば、Fは野犬等の危険性を認識しながら監護能力の十分でないRと二人だけでAを外出させたことになるのであつて、Aを監護すべき義務を負う親権者として大きな落度があつたものといわざるをえず、したがつて、右事情を斟酌して賠償額を相当程度減額すべく、右の減額はFの夫でありAの父である控訴人Qについても同様と解すべきである。
 (四) 右(一)ないし(三)によれば、控訴人らが賠償を受くべき賠償額は、それぞれ、一〇〇万円とするのが相当である。
 三 以上のとおりであつて、控訴人らの本訴請求は、それぞれ、一〇〇万円とこれに対する不法行為時である昭和四六年五月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度では理由があることになるから、本訴請求を全部棄却した原判決を民訴法三八六条に従い取り消し、右部分を正当として認容しその余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、同法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 吉岡進 裁判官 園部秀信 裁判官 太田豊)